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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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コメントいただきました。

みゅうずさんからコメントをいただきました
「外側」しかみていない。「中身」を理解していないとのご指摘です。

真如苑の中身をいくら書いても、信者の方にはそれが「外側」でしかないというお互いの齟齬に、改めて考えさせられました。

信者の方にとっての中身とは、何でしょうか。
それは恐らくは、「簡単には理解できないもの」であり「頭(理屈)ではなく体(実践)で理解するもの」なのだと思います。

信者の方から考える、真如苑という実態を理解するための信者と非信者とのコミュニケーションとは、信者の方が説明して、それを周囲が理解するのではないのです。
信者の方が苑そのもの(法要であり、家庭集会であり、寒修行でもあります)を提示し、周囲が、それに続いて行くことではじめてコミュニケーションが成立するのです。

信者の方は、説明できない自らの状態を「そもそも言葉や理屈で説明するものではなく、体で理解するもの」とすり替えてしまいます。

やってみて、はじめて分かるものだ。
とにかくやれば分かる。
頭で考えても理解できない。
それが、信者さんの言う「中身」なのでしょう。

それであるならば、私は理解していないのではなく、その中身をきっちりと説明しています。
手練手管であり、手口である真如苑のやり方。
人たらしの綱引き。
経親制度という囲い込みとネズミ講スタイル。

信者の方は、単に「解っていない」と言うだけでなく、「実態は●●●である。谷居の批判は×××であるから違うのだ」と、具体的に示してみることはできませんか?

それと、自らが心血を注いでやっている活動(信仰と信者の方は言いますが)をもし悪く言う輩(私の事です)がいるならば、その人に対して「ご苦労様」などと悠長な事は言えない筈です。

少なくとも私は、真剣に苑の暗黒部分を露呈させようとしているのですから、信者の方に対して「勘違いした書き込み、ご苦労様です」などと悠長かつ失礼な事は言えません。
<谷居>


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人が不幸を感じなければ成り立たない教え

真如苑の教えは人を救える最高の教えです。
だから、霊能によって、接心によって不幸が示されます。それら不幸から救われる根拠は定かではありません。同様に接心によって示される不幸も定かではありません。
だから信じる、信じないの問題であって主観の問題となります。そこで示されることも、否定されても信じる、信じないの問題となります。
それで良いのかも主観の問題となります。
そのような主観が勧誘しなければならない教えのために、人に不幸な思いをさせることもあります。救われたければ信じろ、と。
そうした教えの力のこじつけが真如苑被害に発展するのです。そのような悪意の教えの手法に流されてはいけないのです。<一闡提>

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RE27:接心修行

真如苑はものを考えない人をつくる教えです。
家庭内に入り込まれると不幸の因縁話を信じなければなりませんので、排除しなければならない教えです。
しかし、接心で示されたことだけを信じて教えを信じない人のことを低く言う信者と共存しなければならない場合があります。
そのための鉄則として「行かない」「否定しない」「興味を示さない」がありますが、やはり平行線が最大限の効果となってしまうでしょう。
教えの本質は世間法に惑わされることは因縁通りであり、教えをただひたすら信じて行って理解することが如来法と示します。
事務局側は教えに疑問を持たせる情報を発する人たちを排除するために方便を次々と考え出すでしょう。
そして布教しようとします。その土地で旅人が亡くなった話があれば、地縛霊となり、因縁の始まりとなります。
先祖霊だけでなく、地縛霊の霊言も信者が無条件に信じるとすれば、無尽蔵に示すことが可能ということになります。
教えのお力が無条件に信者に流れていることを強調しながら、心の弱った人に無尽蔵の因縁話を作り信じさせようとするビジネスがこれからも続きます。
まるで、「子孫助けて詐欺」「ニセ因縁詐欺」「恐怖心利用詐欺」であるかのように。<一闡提>

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RE18:接心修行

接心修行もそうですが、真如苑で行われる物事は、全てデフォルトとして尊いもの、神聖なものと位置付けられていると感じます。

ありがたい教え
その教えに取り組ませていただく
他人のためにさせていただく
自分の足りなさにきづかせていただく

覚悟を決める

そんな、厳しい修行に取り組む自分には陶酔できるのでしょうか。

そんな厳しさを履行するからこそ、抜苦代受が享受できる。
だからこそ他力本願ではなく、依存している訳でもないと信徒は解釈するのでしょう。

教えによって救われる。
けれどもそれは厳しいもの。

こんな考えが、崇高なものとして信徒に根付いているのです。

それは、一体にして何の為の厳しさなのでしょうか?

幸せのため?
真実のため?


そして、誰のための厳しさなのでしょうか?

他人のため?
否、恐らくは自分のためでしょう。

「他人様のため」と、軽々しく信徒は口にしますが、突き詰めていけば何の事はなく、全てが自分のためなのです。

それは、その活動のトップである真如苑も同じ事です。
信徒のためといいながら、全ては自分達の実入りのためなのです。

その活動は、歴然とした経済活動です。利益を得る上で、相手にも利益を掴ませるのです。

経済活動を基軸とすれば、何一つ間違えではないのですが、真如苑は自らを「宗教」と言っており、宗教法人格まで取得しているのですから、経済活動であってはいけないのです。
経済活動ならば、税制優遇されては違法なのですから。
<谷居>

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お知らせの続報

反苑の会、掲示板は突然管理者から閉鎖されたとの事です。

管理側が表面的に物事を捉えられた結果としか思えず、煮え湯を飲まされた気分になります。

現在は緊急退避場所として緋色さんが掲示板を提供してくれています。微力ながら私も、何か考えなくてはいけないと思っており、先ずはこのブログにもディスクレーマーを追記しました。

宗教の自由の下、そして政権与党の一角が出版系新興宗教団体が担うこのデタラメな国において、詐欺と同義、マルチ商法と同義の活動(信仰)が認可されるという事は、現状ではそこに違法性を追求することはできないでしょう。(因みに、軽減税率で何故“新聞”をその枠内に入れようとしているのか、それは自団体が新聞を出版しているからだろうと、勘ぐってしまいます)

この状況に対し言論の自由を振り回した所で、不毛な展開にしかならないのですから、こちらとしては客観性に基づく事前対処をし、サイトや掲示板が常識的に運用され、かつ反社会性ではないという一般認知を得られるような展開をしなくてはいけないのだと思います。
※谷居・所感

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