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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

次は『知恵』につけこまれないだろうか、という懸念

ネットに書かれていることは誹謗中傷。
この言葉を持ってして信者を騙し続けるには、今のネットインフラ社会においてはそろそろ限界が来ているように思います。
傍目でそう感じているのですから、真如苑自身もそれは恐らく感じていることでしょう。

ですから、次のステップとして「誹謗中傷」に変わる詭弁が必要となってくるのだろうと思います。

ウィキぺディア、知恵袋、被害者ブログ、etc。
それらは総括して「知識」となるものでしょう。
勿論ネットの情報ですから玉石混合です。玉石の「石」を指して『誹謗中傷』と言えば、何となくそのロジックは成立するように思います。
ところが、「玉」の部分もあるわけです。

今はサイトが縮小してしまった反苑の会、緋色さんをはじめとする被害者ブログ、yahoo知恵袋への真摯な書き込み、反真如苑的用語解説など、単に「誹謗中傷」では括る事のできない珠玉のサイトと情報があるのです。


そこで、そうした情報に対して真如苑も何らかの対策を講じなければ、自らの虚偽性がどんどんと露呈されてしまい、新たな信者獲得が難しくなります。
そうした状況を打破するキーワードの一つが「知恵」だと私個人としては思うのです。

受け売りの知識ではなく、御仏様本位の「知恵」の眼(まなこ)で物事を見てください。
真如苑に苦しめられたと言っている人たちの言葉は、一つの角度からしか物事をとらえていないのです。
知恵をもって物事を冷静に見つめなおしてみれば、反苑の言葉が「知恵の足りない言葉」だと気づくはずですよ。

と、そんな風に真如苑が言うのではないでしょうか。

知識を「理屈」に言い換えてしまえば、知恵とは「真実」と捉えることができるように思えます。
けれども、真実ならば人の数だけ存在します。
本当に見つめるべきことは「真実」ではなくて「事実」なのです。

苦しんでいる人がいるという事実。
苦しめられている人がいるという事実。
今もって、無断で入信させられているという事実。

それらの事実の、どれか一つでも充分なのです。
なぜ苦しめられる人がいるのか。
なぜ苦しむ人がいるのか。
なぜ無断入信がまかり通るのか。

その理由の答えを真摯に回答する時には、真如苑の詭弁は無慈悲で、思いやりがなく、自分本位なのだと判るはずです。

どこまでも続くであろう真如苑の詭弁が、ネット社会にどのように対応していくのか。
それは今後も冷静に見つめ続ける必要があると私は思います。
<谷居>

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情報発信

デジタル大辞泉で調べてみました。

カウンターカルチャー 【counterculture】
既存の文化や体制を否定し、それに敵対する文化。1960年代のアメリカで、最も盛り上がりをみせた。対抗文化。→サブカルチャー

サブカルチャー 【subculture】
社会の正統的、伝統的な文化に対し、その社会に属するある特定の集団だけがもつ独特の文化。大衆文化・若者文化など。下位文化。サブカル。→カウンターカルチャー


反・真如苑を謳うことは、果たしてカウンターカルチャーとなるのかを振り返りました。

真如苑の体制を批判するだけでは、カウンターカルチャー/ サブカルチャーと言われてしまうかもしれません。私自身がどれだけ「批判目的ではない」と主張してみても、それは被害の救済や違法性の追求ということにはならないのですから、決して崇高なものではないと思います。

一体にして、なぜこのブログを続けているのか。それは、真如苑が今もなお誰かをだまし続けているから、どうしても言わざるを得ないことがあるからなのです。

今も悩まされる人がいるから、情報を発信しなければいけないと思うのです。

かつて、加害者の立場であった自分だからこそ、それを伝えなくてはいけないのだと思っています。

谷居

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思ひ出すことなど

はるママさんにコメントをいただきました。

私も信者時代教主サマの写真展を拝見し、当時乗っていたベンツを見て思ったことといえば
「教主なんだから、身の安全を守らなければいけないよな。やっぱりそういう意味でベンツなんだよな」
と、心の中で自問自答し、自らを納得させていました。
「何でカローラじゃないんだろう?」
という疑念は、意業でした。直ぐに、心の中で打消しました。

立川親苑の横にそびえ建つ、マンションのような大きな建物が自宅であり、広尾の一等地も所有していて、そのどこが質素な生活でしょうか。

でも、信者時代にはそんな疑念は封印されるのです。

#今回のブログタイトルは、我が心の師匠・夏目漱石先生へのリスペクトということでご容赦ください。
<谷居>

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牛飼いさんにコメントをいただいて

牛飼いさん

奥様が10年来の信者ということは、性急に事(真如苑の虚偽性の証明)を進めようとすると話しがこじれてしまう恐れがあると思います。
私自身がそうでしたが、10年以上信じてきたことを覆すということは、相当な出来事がない限りは自らのそれまでの行為を、自らが疑うことはないと思うのです。

無断入信で他人を巻き込んでいたという事が事実だったとしても、その行為を糾弾し、その行為をもって「真如苑は間違えている」と主張することは難しいと思われます。


『ネットに書かれていることは嘘』
『ネットで誹謗中傷される』
『堕ちていった者(真如苑を辞めた人)は因縁まみれになる(不幸になる)』

奥様は大よそ、そのように思っていらっしゃると考えます。

また、『家庭集会』という布教の場が用意されていますが、それはいわゆる『井戸端会議』の延長線上にあるようなもので、奥様から真如苑を奪うということは、奥様の今のネットワークを断ち切る事に直結しています。

真如苑はねずみ講活動、つまりは『ネットワーク商法』なのですから、真如苑と奥様の友人関係とは直結しているのです。

それを踏まえた上で、この本文と私の今までを振り返ったブログ
http://hannen.blog12.fc2.com/blog-category-23.html
をご一緒にご覧になってみてはいかがでしょうか。

何かありましたら直メールいただいて一向に構いません。

ご参考になれば幸いです。
<谷居>

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占いやアテモノではない?

宗教は、生きる事・死ぬことに直結した価値観だと私は思います。ですからそこに関わる問題が当事者を懸命に駆り立てるのは、必然なのでしょう。

一生涯貫くとか、覚悟とか、男なら潔くなど、真如苑信者は自らを鼓舞する言葉をもって、その活動のモチベーションにしているのかもしれません。
けれども根源的には、因縁に対する恐れを回避することや、幸せに手が届きそうな霊能者という立場の、そのための霊位向上など、負から逃れるためのエネルギーがあるように思います。それは、突き詰めて行くと自分自身がなによりも、そのような結果になっていたからに他なりません。

物事を慎重に進めるには、ネガティブチェックは重要です。失敗や事故はあくまでも人為的で、もしもそうなる前に、事前に気を回していれば、事前に用意していれば、大概は防げるものだからです。
失敗しない、他人に迷惑をかけない。相手のために物事を遂行するには、やはりネガティブチェックは欠かせないなのです。

占いとは、さながら人生のネガティブチェックのように私は思います。
この時期に、コレをやってはいけない。引っ越すならどこの方角がいい。結婚するならこんな人と。どっちの仕事が自分には向いている。
リスク回避、死なないため、お金儲けのため。その最良の選択とは、目の前にある輝いている方か、もしくは褪せていない方を選ぶだけの事です。

真如苑はそれを、目の前ではなく『真如霊界の目線』で見ているに過ぎません。つまり媒介を『霊』とした、ただの霊媒占いなのです。

み力とか修業の厳しさとか、そういう覚悟だとか一生涯貫く姿勢などの言葉で信者を鼓舞し、霊媒占いを与えているに過ぎないと私には思えるです。
<谷居>

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