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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

縦に流れるはずの教えが横に流れるとき

かつて水も漏らさぬ秘密主義と言われた真如苑の教えが、ネットを通して論議されています。
その内容はあまり人に聞けないような事を質問できるYahoo!知恵袋をはじめとした場において、教えに関する疑問についてのやり取りです。Googleアラートにキーワードを登録しておくと、タイムリーに最新情報を抽出できます。
なぜ「教え関係者だけに相談する」縦の繋がりを維持できないのでしょうか?それは信者が教えの力に酔ってしまい、自らがその力を及ぼすかのような陶酔によって理不尽な教化をするような時に縦の繋がりが崩れることがあります。
教えの欺瞞に気づいているのに波風を立てることなく指導者の教えに陶酔した言葉を聞かされる所属はストレスが溜まります。そして所属はこの教えが集団圧力によって個人を囲い込まなければならない理由をネットで知ります。
この負の連鎖を断ち切るのは困難です。一人で抱え込めば教えの思う壺なのです。

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教団も悪く思わないし信者も悪く思わない教え

この教えは仏教の教えであるし、人を救う教えであるし、誰も悪いことをしていません。それが前提です。
その教えがネズミ講の様な手段を使うと思おうとも、コールドリーディングと思おうとも、教えを否定する事が悪いことなのです。
そうやって信者を責めて、批判する人を責める手法は何十年も続けられているようです。だから教えを信じる人の家庭で教えを否定すると、その家族の生活が危うくなります。思想信教の自由が侵害されていても、発覚しない手法が取られてきました。しかし今はネットで相談できてしまいます。
教え関係者だけに相談しなければならないかのような囲い込みが通用しなくなってきているのです。〈一闡提〉

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RE01:相手の善意を前提とした情報発信

10人誘って1人入れば良い状況もありますが、家族などの縛りによってやむを得ず奉仕など取り組まなければならない人がいます。最近は霊能者に誤った情報を与えて誤った答えが返ってくるのを見てコールドリーディングを楽しむやむを得ず信者をやらされている人の話を聞くと、微笑ましく思えます。
やむを得ず信者をさせられている人を見ても、教えを疑わない信者はお力だと思い、やむを得ず信者をさせられている人がネットでストレスを発散するために書き込む。その流れはこれから勧誘される人にとって有益な情報です。
盲目な信者が教えを信じている振りをしている次世代の行動に安寧し、ネットを見るな、とその行動を把握せずに盲目信者自らの見え透いた醒めさせる言動をネットに晒されるとしたら、それもマインドコントロールの限界の一つなのでしょう。〈一闡提〉

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教えの外で公開されるプルーフ(証明)

真如苑の輪の中では教えが最高で絶対的なものであると囲い込まれます。しかし、世間との接点を断つことはできません。人を救うという名の下、勧誘をしなければならないからです。
多くの人が当たっていない接心の中で当たった人がクローズアップされ、多くの人が幸福でない中で幸福になった人を教えとの因果関係に結び付けられる情報操作や印象操作がされています。「徳のある先祖が自分を教えに導いてくれ、教えに結ばれて喜んでくれている。」あるいは徳のない先祖がご利益信仰をしてしまったため因縁となり、自分がそのお浄めを最高の教えによってしなければならないことを因縁付けられていきます。
そうした罠のような要素に気づきつつある人たちが、知恵袋のランキングを見ると自ら考えることを教えに抑制されながらも、自らの文章で経親に検閲されることのない文面で教えへの疑問を表現しています。それは教えへの情報操作や印象操作を意図としたプルーフ(証明)ではなく、自らの体験に基づくプルーフとして現実味があります。

Yahoo!知恵袋「宗教」カテゴリランキング

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コールドリーディングを逆手に取る

とあるSNSで真如苑の接心に仕方なく行かなければならず、霊能者に誤った情報を与えて誤った答えが返ってきた、というレポートを見て微笑ましく思いました。
その人は二度と、と言うよりもこの先騙されることは無いでしょう。教団内の地位を日常でも振りかざす信者に負けることなく、教えの手口に引っかかることがなければ、真如苑被害を最小限に抑えられるでしょう。
「墜ちるのはあっと言う間。」と恐れさせられているよりも、出鱈目な予言の様な言葉を信じさせようとする行為を墜ちた行為と思えることが健全です。〈一闡提〉

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