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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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教え対策で進んだこと

N君はYahoo!知恵袋などで、教えの実態を突く意見を見ると、胸が晴れる様な気になる。
それは、N君が信者たちに圧力を受けたり、嫌がらせを受けてきたからである。
何が嫌がらせかも特定できないような、ただ教えを信じない人間が悪い、と言わんばかりの圧力は、N君を教え対策に駆り立てた。
教え対策とは、仏教や良い教えを前面に出した、人の不幸に忍び寄る教えの手口を情報共有することである。
洗脳もあるが、教えの創り出す教えの階級による差別化も世の中にはない上下関係が得られるために、信者にとっての旨味である。
N君は洗脳だけでなくそうした確信犯的申し合わせによっても、信者によるネズミ講的教えの手口が盲点となるように、意図的にされていると思う。
昭和の時代に出版された「水ぶくれ真如苑〜急成長の秘密と欺瞞の構図〜」を読んでも、基本的手口は変わらない。
むしろ、教えも予想しなかったインターネットの世界に書き記された教えの手口をカモフラージュしようとして、教えの負担が減らされていると思える。
救いに対して負担が大きいと、信者は逃げてしまう。負担を下げるのは救いが少ないと知れてしまっているからである。
ネットで調べるのが一般的になり、教え三世らしき人の質問に対してもN君の胸の晴れる様なコメントが書き込まれている。そして、中には教えの手口をカモフラージュしようとする信者らしき書き込みがあるが、明らかに浮いて見える。
それもN君の胸が晴れるような感覚になるのである。《一闡提》

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批判は存在しないのが前提

水ぶくれ真如苑
ネットが無ければ、教義への批判が存在しないことだったでしょう。
「水ぶくれ真如苑〜急成長の秘密と欺瞞の構図〜」という出版物はありましたが、私が読んだのは信者を辞めた後でした。絶版後のネットにアップされたものです。

信者は批判を肯定しないし、あること自体触れないでしょう。そして、辞めた人にも何か不幸があれば真澄寺のお守りを渡し、信仰を促そうとします。
社会で通用するかのように、信じてしまえばこっちのもの、と言わんばかりの働きかけは、愚かささえ感じてしまいます。〈一闡提〉

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信者が下位の信者や外部の人にに行ったことに感知しない教団

新興宗教に代表される組織でカルト性を帯びると、組織は上層部の信者に指導し、組織の方針に従って一般信者が指導されます。そうした間接的な組織と信者との関わりが、「末端信者の行ったことは教団とは関係ない。」という逃げ道となります。
そこでの指導の内容は秘密なのですが、教団は適切な指導をして個人の行動に委ねている面だけを強調します。しかし、無断で入信を受け付けたり、霊、因縁の恐怖心から逃れるために強引な勧誘や信じない人に攻撃的になることに関しては水面下に追いやられてしまうのです。
そうした指摘されることのないやり取りが放置されて来たのは教団の意図でしょうが、信者が教えを信仰していること自体、隠されていたり、周囲が信仰していることを「個人の自由」であると放置されてきたりしていたことにも問題があります。信教の自由の名の下、人の信教の自由を侵すような活動が表面化しないように続けられることで教団運営が成り立っているからです。
法的に規制できないのであれば、個人が対処法を考えて知って、被害に合わないようにしなければなりません。信者が人の不幸について情報収集し、心が弱っているか確認しながら有難い教えに繋ぐ救世主の様に振る舞う行為の裏に、道義的な問題にしても、どの様な騙しや攻撃的な行動があるのか、その周りの人が自らを守る手段として知っておく必要があるのです。

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真如苑信者への徹底した冷ややかな目

かつて真如苑で示される霊、因縁に恐怖心をいだき、歩んでしまった人に対して、信者はまた歩むように働きかけようとします。それはターゲットやその身内に不幸が起こった時などがチャンスです。そこでまた霊、因縁にリアリティを感じてしまえば、プルーフで発表されるような事例となり、「教えを歩まなければ因縁どおりに不幸になり、教えを歩んだら好転した。」という因縁ストーリーにもなりかねません。
そのような状況でも信者の思考の特性を理解し、教えを否定せず、なんとか教えに救われなければならない恐怖心を呼び起こして教えにつなぎたい信者による一見善意、実は悪意の行動に冷ややかに対応するためには様々な事例を知り、対処法を身につけなければなりません。信者のすべての人格に嫌悪するのではなく、信者に何重にも植え付けられた真如苑に勧誘する人格に対してどこまでも毅然とした冷ややかな目が必要なのです。<一闡提>

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真如苑の修行に見る構図

真如苑では仏教の修行をしていると言われます。教祖さまが醍醐寺で修行して一宗を開く資格を得た。利他行を実践。仏教の難しい六波羅蜜を在家にある衆生にも分かりやすく「三つの歩み」に集約していただいた。
教団側は信者が言うように「とても救われる」とは言わないのです。「教えの不思議でこんな事が起こった。」と事務局から言われることがありますが。「この教えでしか救われない。」と発するのは信者です。特に大勢の前で自らの体験談を話す取り組みであるプルーフは経親という指導者のチェックをかなり受けます。
教団側は教えの徹底事項を伝えているだけです。狂信者にも見える熱狂信者を生む構図は経親の指導による「この教えでしか救われない。」と思わせる指導に要があります。信者が集まると教え関係者を持ち上げ、取り組みをすごいすごいと言い合う輪が集団圧力となり、時には個人を囲い込みます。
信者間の伝言ゲームに近い情報伝達は「真如苑の智流院を出ると文部科学省の名簿に載る。」などを代表としたあり得ない事も、教えを良く言っていれば許されるのです。もちろん教団が言っているのではなく信者が言っているのです。
少しでも「おかしい」と思えばネットで質問し、欺瞞の構図に気づくこと。それが次世代やこれから勧誘される人に残せるメッセージです。〈一闡提〉

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