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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

外的コントロール・内的コントロール

~一闡提~ 2010/01/26 06:16
「人材を育てる様々な手法」

虎の母さんが注目する「コーチング」をウィキペディアで調べてみました。
教育とは違い、一律に知識を与えるのではなく、個人のモチベーションを保ちながら人材育成をする手法であり、そのためには共感などの心理的テクニックを用いながらコミュニケーションをとり、能力を伸ばし、スキルを身につけさせる技術だそうです。
この手法も教えでは使われますが、コーチングの目的の一つである個人を尊重し、個人の考える力を育てることをせず、思考停止の方向に持っていこうとする意図が見られます。
それが悪意の部分だと思います。
こうした人をコントロールしようとする技術はふんだんに使われています。「選ばれた人である。」とモチベーションを上げ、経親や導き親が所属の個性を観察し、適切な課題を与える。コミュニケーションをとり、所属に教え通りに生きるための考える力をつけさせようとします。
しかし短所があり、コーチングをする人のスキルが要求され、個人によってその手法を変えなければならず、必ずしもうまくいかないこともあります。同時に教えに対する疑いは一切禁止であるため個人の自由な考えが抑制されながら因縁などの恐怖に対する妄想は深めさせなければならないという規制もかかります。
経(すじ)などの小さい単位で行われる手法ですが、思考を強引に教え絶対にさせるために集団圧力が使われながら、個人からの情報を引き出して教えの役に立つ人材を育てようとします。その育成方法として「教えのためならば嘘をついてでも誘い、教えに結ばれることで救われるのだから良いことである。」という都合の良い思考の下で行われていることが悪意であり、そうした悪意あるコーチング技術が教えの中でまかり通っているから問題が広がり続けているのだと思います。




~一闡提~ 2010/01/27 08:21
「秘密裡に行われ気づいたときには泣き寝入りしなければならない状況」

密教だから秘密であると言われます。それは仏教を楯に秘密裡に進行しているため、気づいたときにはもう遅いことが多々あります。
開祖が仏教を衆生にも分かるように解釈し、救われない霊、因縁から自分が守られる有り難い教え。だから精舎へ行けば皆喜びで取り組んでおり、人を誘ってそこに結ばせてあげるのが自分も救われることであると勧められます。
上記のコンセプト、取り組みに金銭も絡みますが金銭だけの効果だけではないことが、その問題点に行き着きにくいことから、「気づいた時にはもう遅い。」ということになる可能性もあります。
月200円で大きな力をいただけて、喜んでいると、霊を清める方法や供養する方法を教えてもらい、さらに自分自身が菩薩に近づく学校があり、その学校に行くには喜んで教えに取り組む人を何人か連れてこなければならくなります。
そして気づくと人間関係の縛り、自分がここまで行ってきた面目などが足かせとなります。
辞めようものならば「因縁に倒される」という違約金がかかってしまいます。
人の得体の知れないものに対する恐怖を煽り、ものを売り、その被害額が高額になれば法に触れる可能性も出てきますが、何百円単位、または心の深層に植え付けられた恐怖心を煽っても反発が生まれないため、個人はその言葉に従ってしまう傾向があります。
それらの手法が横行して問題となった90年代などに人々は警戒しましたが、着実なところはそれらの批判も退けながら着々と巧妙に行っているところもあります。
気づいた人がその知識をどこかで共有することで、忍び寄る危険を回避できることは大事なとこだと思います。
ネットの利用でそれが実現しやすくなりましたが、その行為をさせない力も働きます。そして、させない力がどのような手法に気づかれたら困るのか。それが身の安全を守るヒントにもなると思います。




~ 虎の母~  2010/01/27 21:06
「内的コントロール、外的コントロール」

グラッサー博士の選択理論では、「人の行動は自らの選択である。」としています。これを内的コントロールと呼びます。そして人間関係の破壊や苦痛の原因が外的コントロールであるとしています。
以下のイメージです。
①快感を伴う外的コントロール
 賞賛、おだて、褒美、順位付け(優越感)、、、
②苦痛を伴う外的コントロール
 脅迫、非難、罰、順位付け(劣等感)、怒鳴る、、
③快感を伴う内的コントロール
 達成感、相手を認める、自己表現、、、
④苦痛を伴う内的コントロール
 忍耐、自制心、自律、葛藤、、、
マインドコントロールは、微弱な外的コントロールから開始され、次第に強力になっていく、という見方もできると思います。しかし、信者さんも同じ人間ですから、真如苑から外的コントロールを受けた場合、心に苦痛を感じるはずです。その苦痛を無くす麻酔こそが①です。特に真如苑は順位付け、、つまり選民思想を頻繁に使うようです。
信者さんは、選民思想と人格と引き換えている、といっても過言では無い気がします。

信者の友人は非常に高圧的で優越感に満ちた態度をするようになりました。嫌な思いはしたものの、優越感や選民思想が強い信者さんほど心が深く傷ついて強力な麻酔が必要なのだろうか、と思うと今では心からかわいそうだと感じます。

2つのコントロールを使う人のスタンスは以下のイメージです。
①外的コントロール
・自分は正しい
・他人は自分と同じように感じる
・相手を変えることができる
・人は外部の刺激で動機付けする
②内的コントロール
・人それぞれの世界がある
・他人を変えることはできない
・人は内部の刺激で動機付けする

私は典型的な内的コントロール型であり、外的コントロールには激しいアレルギーを持っています。
信者の友人からあるとき本を借りました。内容を一言にすると「若くして不治の病で亡くなった少女の遺言通りに行動しよう」というものです。一言にすると大したことありませんが、この内容が増幅されて長文になるわけです。「良い内容だから、きっと感動すると思う。」友人は幸せそうにうっとりと言いました。
しかし、読んでいる最中も読み終わった後も、私には地獄の苦しみでした。。嫌な気分が三日三晩抜けませんでした。顔面蒼白になり、息も絶え絶えになって本を返しました。
何が辛かったかというと、内容から「不治の病で亡くなったかわいそうな少女の言う通りに行動すべきである。それができない人間は悪人である。」という"押し付け"を感じたのです。非常に強力な外的コントロールでした。

私の反応がやや極端ということを差し引いても、真如苑の教えとは、こういった"押し付け"なのだろうと思いました。
これが延々と続けば、人によっては精神がどうにかなってしまうことが想像できます。


【コメント】
①10/01/27 一闡提 「押しつけの教え」

>信者さんは、選民思想と人格と引き換えている

これは自らの心的外傷を埋める効果があり、心理学的な「認知的不協和理論」に基づく自分への精神的ストレスをも埋め合わせる効果があると思います。
この教えは世間での自らが救われない原因も苑の抱かせる妄想によって作りだされた因縁のせいであると押し付けてきます。
それが教え発展の原動力だと思います。


②10/01/28 虎の母 「心の傷薬の選択」

選民思想が心の傷を修復している。
心の傷薬として選民思想を選ぶか選ばないかで道が分かれることになりますね。
信者さんから選民思想を取り上げたら、心の傷がぱっくり開く。
選民思想を元の人格と引き換えることができるもの、それが内的コントロールであると信じたいです。
逆の道は辿れないでしょうか。
③快感を伴う内的コントロールと選民思想を少しずつ引き換えにする方法としてコーチングがヒントになるだろうか?
次第に内的コントロールを強力にしていくことは可能だろうか?
そんな風に考えています。


③10/01/30 一闡提 「カスタマーレビューを読む限りでは」

書籍の紹介が販売サイトにありました。
自分が人をコントロールするしようとすることで、思うように行かずにストレスを感じる、とありました。例として、騙されている信者にその欺瞞性を伝えようとしても理解が得られずストレスが溜まります。信者にとっても教えを解らない人に対して同様なストレスを感じるでしょう。
一方、人との関わりの中で自分の思い通りにならない時に落ち込むかどうかは自分が「選択」しているのであって、自分の受け取り方によってその方向性を変えていけるのが「内的コントロール」であると思いました。
教えは、信者のうまく行かない理由を霊因縁のせいであり、それを教えの力で克服できると「内的コントロール」を促します。教えにのめり込んだ後に疑問を感じても「取り組みが足りないから。」ともっと頑張れば道が開けるかのように「内的コントロール」を促します。
しかし教えを脱会した人などは「騙されていたが、これくらいで済んでよかった。」と「内的コントロール」をしようと思う人もいますし、「騙される過程を人に教える事で被害者が減るのではないか。」と考える事も「内的コントロール」だと思います。
教団にそうした心理を利用されるのではなく、自らが選択してそうしたものに騙されない事が大事だと思います。「自分だけは騙されない。」と構えるのではなく。




~ 谷居 ~  2010/01/28 21:30
「マインド・コントロールとなるもの」

子供の話は一端保留にし、自分が如苑信者時代どの程度の“外的コントロール” に晒されていたのか、思い起こしてみます。

・真如双親(様)、両童子様を心に念じなさい
  →これは、心から従うことはできなかったのですが、接心修行の折には確実に念じていました
・上求菩提をしなさい
  →経親のことは好きではなかったので、あまりやらなかったのです。挙句に決定打として
   経親との揉め事から、真如苑に疑問を感じたのですが。。。
・毎日、朝夕のおつとめをしなさい
  →朝しかやっていませんでした
・何か大事なことを始める前に、心にご賛題を念じなさい
  →やっていました
・毎日教書を読みなさい
  →ほぼやっていなかった状態です
・月に一度以上、接心修行を受けなさい
  →受けていました
・人生の分岐点や大事なタイミングでは相談接心、鑑定接心修行を受けなさい
  →受けていました
・三つの歩みに取り組みなさい
  →やっていました

と、思いつくまま考えると結構落ちこぼれ如苑人だったのかもしれませんね。
上記は、マインド・コントロールに繋がる内容をピックアップしたつもりです。もう少し冷静に分析すると、内容によってはマインド・コントロール度の高さをランク付けできるかもしれないですね。


【コメント】
①10/01/28 一闡提

「…しなさい。」と言われて、「しなければならない。」と思わせる思考にさせる前段階がある気がします。
それは好意に対する「返報性」、大勢の中で全員が行う「合意性」「集団圧力」、芸能人や著名人が行っているという「権威性」、自分が行ってきた事に対する自分のそれまでの行動を肯定させようとする「コミットメントの一貫性」などがあります。
マインドコントロール理論ではそう解釈できると思いますが、それ以上の力が働いているとすればどんな力か、と考えるのも大事だと思います。霊、因縁の曖昧な脅しだけではなく。


②10/01/29 ここでは苑大嫌い 「紙一重」

「~したほうがいいよ」とか「~すべき」とかと言う言い回しは、だいたいは従うように仕向けられる。

よく「任意で」という言い回しがあるが、だいたいは従うでしょう。→だからこの場合は『任意だったらお断り致します!!』と断言すべき!

「気持ちで」はよく篤信徒が使うが、私の場合、断ろう(気持ちがない)とすると嫌がられるので、ここでも従ざるをえなくなる。


③10/01/29 一闡提  「複数の手口」

個々の外的コントロールを意識できた後は、その手法がどの様な状況でどの様に組み合わされているかを見るのが大事だと思います。マインドコントロールはそれぞれの手法が一度に襲ってくると言われます。
精舎に入れば笑顔で「お帰りなさいませ。」と好意的に声をかけられる。(返報性)
伝統仏教であると言われる。(権威性)
プルーフで不幸な体験を聞き、自分の境遇と置き換えてみる。(知覚のコントラスト)
他様々な要素が精舎、集会などでは用意されています。




~一闡提~ 2010/01/28 12:41
「選民思想が埋めるもの」

選民思想は自分の心的外傷を埋めるものであると同時にその認知的不協和を解消するものでもあります。
それは教えに入る前の心的外傷だけではなく、入って取り組んだ後の妄想を更に深められることで付けられた心的外傷も含まれます。
強制でもなく、さも自分の判断で行ったように進行させられます。妄想によって引き起こされ、取り組みの中での信者の体験談(プルーフ)などによって教えを辞めたり、疑いを持ったりしたときの恐ろしさを知らぬ間に心に植え付けられていきます。
それが吹き出すのは、教えをかつて歩んでいた人や、教えを歩むと見込んだ人に教えに誘う側に対して教えの矛盾に気づいてしまうような発言をされた時です。
「因縁が吹き出す。」という表現が使われますが、信者に不幸が起こったときに信者の取り組みが足りなかったことを示す言葉です。しかし、非信者にとっては信者に豹変されてびっくりさせられてしまうことが当てはまるのではないでしょうか。その方が因果関係が現実的に説明できると思います。教えで言う因縁は、信者に困ったことが起きたときに、確認のしようのない霊などの存在が原因であると信じ込ませるものであることに違いがあります。




~ 谷居 ~  2010/01/31 7:30
「選民思想の侵食」

選民思想という観念が、自分の真如苑信者時代、いつのまにか確かに根付いていました。それは、いかにも運命からVIP待遇を受けているような錯覚。
その間違えた思い込みによって、取り組みを進めていくほどに真如苑信者に見られがちな、共通の傲慢さが芽生えて行きました。判然と言葉にならず、明確に意識はしていないのですが、心の底辺に歴然と根付く感覚---「一般人はカワイソウ」という共通感覚です。

 ・尊い、ありがたい教えに結ばれたあなた
 ・法華経までのお経では、在家は救われない。涅槃経だけが在家を救うことができる
 ・双親(さま)が、いばらの道を平坦な道にしてくれた。そこを歩むことができる
 ・接心修行は、真如苑独自のもの

いくつもの言葉の中に、選民思想を自分の心に育ませてしまう誘導がありました。そして、「接心修行で霊言を享受できるのは真如苑だけ」という特別感にとどめを刺されます。疑念を持たずに接心を受けるようになっていた頃には、そこで示される霊言こそが天界から自分を見ている神仏から発せられる天啓であり、一般人では享受できない「今の運命の、その先」を見ることができるのだという間抜けな思い込みをしていました。

占い、風水、祈祷、新興宗教。それらに共通する“運命からVIP待遇を受けられる感覚”とはつまり、今のその先を見通すことができるという、ある種の裏情報を入手できるという錯覚です。あたかも株取引におけるインサイダー取引が、自分の運命においてできてしまうような錯覚です。「絶対儲かるよ」という甘言を発する、ねずみ講のささやきです。それらに共通しているのは、「先を見通すことができるから、こうしておけばそれに対応できる。幸せになれるよ」という甘言です。




~一闡提~ 2010/01/31 18:03
「選民と思いながらも賤民に近づく取り組み」

「仏の国に生まれて、仏を無くした人々。」教主がインドに行き、衆生を見て言った言葉でした。
仏の道を歩んでいると言いながら、因縁の恐怖に盲目となり、伊藤家崇拝の為に人の心を無くす信者は、仏を求めているようで仏を無くした人と思えます。
社会にとけ込むことが仏の道と言われながら、勧誘が成功するために社会にとけ込み、人が教えを歩みたくなるような人格に自らを偽り、教えに繋ぐためならば嘘を平気でつけるようになる人格は、人間の尊厳を捨てた奴隷であると言えます。
それは、因縁に脅されて共依存となっている状態とも言えます。自らが教えを支えなければならないという使命感を持ちながら、教えから取り組みを示され続け、疲れ果て、思考が停止した状態とも言えます。
そうした状況を軟禁して作り出す教団もあるようですが、それをせずとも同様な効果を作り出す手法は見事だと思います。
逃げられるにも関わらず逃げないのが共依存状態であり、つなぎ止めているのは、逃げたら、辞めたらどうなるか分からない、という恐怖心に起因しています。
それを緩やかに、集団心理、集団圧力を使って実現しようとしているものに対して警戒心を持ち、その手法に引っかからない知識、対策が必要だと思います。


【コメント】
①10/02/01 Tmainz 「教主がインドで感じたこと」

一闡提さん

「一如の道」の中で私が気になっていたところがこの記事に出ましたので、コメントします。

<「一如の道」より抜粋>
仏の道に生まれて、仏を失ったインドの人々のあわれさ、みじめさを目の当たりに見た-
<省略>
・・・そこに目撃したのは見るも哀れなインド民衆の無数の姿であり、
その群集の中に、仏を失っている人々の救い難い哀れさをしっかりと見たのであります。
<抜粋おわり>

よその国の一般民衆を日本人の目で見て、あわれだの、みじめだの、救い難いだの、
よくそんな失礼なことを言えたものだと、私は思いました。

真如苑の教えを信じている人が幸せを感じているなら同じように、
外から眺めただけでは分からない、インドの人にはインドの人の心の中で感じている幸せ
というものがあるということが分かっていないこの伊藤真乗という人は、
醍醐寺まで行って今までいったい何を勉強してきたのか・・・と思ってしまったのでした。


②10/02/01 一闡提 「他と比較しても引けを取らない教え」

Tmainsさんの反苑の会議論板でのコメントを見て、教主の様々な宗教を研究し、それらの利点を取り入れて作った宗教であると私も思います。
他と比較させても引けを取らない教えとは言いながら、実際は他の宗教の粗を言っているだけであって、自分のところの宗教の粗が解ってしまうような情報を流さず、そういう情報に信者が触れないように仕向けているだけであるのは明らかであると思います。
また、それを「密教であるから。」とこじつけて理解させるところは信者間の伝言ゲームによって変化した情報かもしれませんが、稚拙さを感じます。

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