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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

“教えから堕ちた人間”が意味すること

~ 谷居 ~  2010/05/28 0:00

さて、一つ大きな疑問があります。

真如苑にとっては『堕ちた信者』である私を、もう一度真如苑に戻す必然は、信者達にあるでしょうか?

ここで一つ、なさそうでありそうな仮定をします。それは、真如苑から離れた私が、どこか知らぬ土地に引っ越したとして、近隣の信者から勧誘を受けるという想定。これは、仮定としては充分起こり得る事でしょう。

そこで勧誘を受けた私の回答は
1.『実は前に信者だったんですよ。でももうやめたので、二度と近づきたくないんです』
2.(完全にとぼけて)『どんな所なんですかぁ?』

と、2番の回答をすれば、信者はバックリと食いついてくるわけです。

この、架空の想定を先ずは抜きにして最初の疑問に戻ってみます。真如苑にとって『堕ちた信者』である私を信者達は連れ戻す必然などない、と私は感じています。経親からしてみれば「彼(谷居)は堕ちた人間。教えの真髄を理解することなく、ご利益だけを求めるような心があり、そしてそれが簡単に得られると勘違いして正しい精進をしなかったから、堕ちていったのだ」という言い分でしょう。そんな私を見て、その経の所属は「谷居みたいになっては駄目よね」などと言い合うわけです。

さて、そんな元所属経の篤信者にとっては、まるで反面教師のような私も、見知らぬ土地にいくと「救ってあげたい人」に変身します。私がどこか知らぬ土地に引っ越して、近隣の真如苑信者から『お救け』を受けたとして「それって、どんな所なんですかぁ?」なんて興味を示すような発言をしようものなら、バックリ。「谷居さん、一度お寺に行ってみませんか?心が静かになるっていうか、座禅を組むような、でもそんな大それた修行みたいなことはしないのよ。なんていうかこう、心が綺麗に澄んでいくような感じになれる所よ」ってな感じでしょうかね。

この、相反する2つの局面は『事実と仮定』という単純な対比ではありません。なぜこのように、「真如苑から除籍した」という一つの事実のresultに対して、2つの両極端な局面が顕れるのか。それは「真如苑が、『勧誘』を必然とするシステムだから」です。

その勧誘の対象者は、一人は“宗教を全く知らない、安穏とした考えの人”であるでしょう。もう一人は“他の邪教に所属していた、そのままでは救われない人”かもしれません。そしてまたもう一人は“元信者の堕ちた人間”ということも有り得るのです。結局、その対象者は『誰でもいい』のです。こんな私ですら、その対象者に成り得るのですから。

もう一度、最初の疑問に戻りますが、『堕ちてしまった谷居』すら、もう一度真如苑に連れ戻す必然が、真如苑信者にはあるのです。反苑の会・掲示板にて私と論争を交わした篤信者達は本来、私をもう一度諭して、真如苑に復苑するように努力しなければいけないのです。なぜなら、真如苑はそういうシステムで成り立っているからです。

真如苑のシステムから考えると、私と論争を交わした篤信者達は、真如苑に属していない私を『自分の所属』にしなければいけません。そうやって自分の「子」を増やしていかなければ、『六波羅蜜を集約した』とされる“三つの歩み”「歓喜(布施)」「奉仕(無償労働)」「お救け(勧誘)」をキチンと履行することができずに、つまりは『正しい精進』をすることができないのです。

真如苑が言うところの『正しい精進』なんて、所詮この程度のことであると、篤信者の方々に判っていただける日が来ることを願っております。

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