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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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秘密裡の限界

~一闡提~ 2010/12/17 08:06

「この教えは密教である。」という解釈が、都合が悪くなると秘密裡に行われることに繋がっているのは知られつつあります。
電話や手紙、口頭でコミュニケーションをしている時代には「膝つきあわせての教え」と本人の状況に合わせて霊言も言われ、集会ではその霊言の取り組みとして本人に合うように指導されていました。現在もそれが前提でしょう。
しかし、本人が教えに疑いを持ち出して、例えば「水ぶくれ真如苑」などの出版物を読んで教えのインチキに気づいてしまったり、自らの判断で教えは無意味であると判断してしまった場合、その人を「堕ちた人」として他の信者からその人の情報を遮断したり、その人が未成年ならば強引に連れていったりもされます。
「堕ちた人」とされた本人は、元々信じられないような教義の宗教からレッテルを貼られても相談する人もなく、疑い始めた人であっても集会などに行かなければならない状況の人は、その疑問を集団圧力によってもみ消されることもあり得ます。
ネットで自由に情報を得られる今、秘密裡の教えに虐げられた人たちが、教えの疑問や被害をネットに記すことで、他の人が教えに経験した情報と照らし合わせて教えを判断できるようになりました。
ネットには教団からの良い情報、被害者からの悪い情報、信者らしき人から「ネットで言われる悪いことは信憑性が無い。」という情報が流れています。
不思議と信者からの「教えによってこんなに救われた。」と言う情報は皆無です。
それは何を意味するか。秘密裡な状況でなければその良さを伝えられないということです。或いは秘密裡に行われている何かを知られたくない意図が感じられます。
ネット情報も含めた教えの情報を判断するのは個人の問題です。それを知り、本当に教えが良いものであると信じる人、社会心理学で研究されているマインドコントロールによって本人の意思の様に信じ込まされている人、教えのインチキを確信する人など様々です。
秘密裡の教えが過去に情報を意図的に遮断してきたならば、その遮断しきれなかった情報が知られることで気づく人が多くなり、羨望ではない一貫した被害に関する情報がネットに流れ続けるならば、被害を本人の意思でなくとも、意図的でも与え続けている人に不利な状況になることでしょう。

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