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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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RE:破壊的カルトに対策し続ける重要性

~ 谷居 ~  2011/1/16 00:00



“心のアングルを変えて物事を見てみる”ということが、とても難しいことだと思い知らされます。

私は試みとして「信者であった時の自分」が、反苑の会でどのような議論が出来るのかということに今トライしております。

そこで感じたことは、「信者の持っている心のアングルを変えさせることは難しいのではないか」という所感です。『真如苑の教えはすばらしい』ということがデフォルトである人に対し、「それは邪であり、詐欺とイコールの行為である」ということを知らしめるには、どうしたらよいのか。それには本当に頭を悩ませます。

そして逆に感じたことは、反・真如苑である今の私がいくら言葉を尽くしても、それは「真如苑信者には届かない」という無力感です。

だからこそ、別なアングルでの切り口が欲しいのです。

信者の方々に、そこ(如苑)は間違えであることを知らしめるには、薄皮を一枚一枚と剥ぐような根気の要る作業であることは、頭では判っています。でも、それがもし自分の目の前に「問題」として横たわっていたら、そんな「一枚一枚…」などという悠長なことを言っていられるのか。その感覚が、とても歯がゆいのです。

「真如苑は、その活動をすること自体が誤りである」と口外することは、それは真如苑の信者にとってみれば「間違えた正義の押し付け」にしかならないのかもしれません。けれども逆に見てみると、真如苑信者の人たちこそが「世間法にとらわれてしまう谷居(反苑人)は、因縁に倒されてしまった人。因縁通りに生きていくしかない、救いようのない人間」と“間違った正義”をこちらに押し付けているのだと思います。真如苑の中だけでしか通用しないアングルが、それが世の中の全て(正解)であるような感覚を持ってしまうことこそが、危険思想なのだと思います。

お互いが一歩引く所から、歩み寄りが始まるのだろうか。けれども私は、真如苑の信者は本当の意味で「一歩引いてくれる」のだろうかという疑念が払拭できないのです。
信者は表面的には一歩引いてくれたとしても、その引いた一歩には「絶対に譲れない信念」を包括したまま、黙ってウソをついて引いている一歩にしか思えないのです。

それならば、反苑としての自分は、真如苑信者を一歩引いて認めることができるのだろうか。。。結局自分自身も、真如苑信者と同様「絶対に譲れない信念」を包括し、それを手放すことができないのではないだろうか。

そいういう意味での「お互い様」だとしたら、本当の意味で信者とわかりあうことなど出来ない。だとしたら、『反・真如苑』を訴求することは、一体どうすることが正道となるのだろうか。。。

この疑念に、新たな道標となる明かりが欲しいのです。その一つとして“心のアングルを変えてみる”ことを考えてみました。答えは、まだまだ出そうにはありませんが。

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