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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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真如苑的プロパガンダ・その2

2世信者が真如苑の虚偽に気づき、退会をする。
けれども退会しても長い間「シンドウインサマ、キョウドウインサマの顔が脳裏から離れない。隣に居るように錯覚する」とか「シンニョキョウシュサマ、ショウジュシンインサマのご尊顔が脳裏から抜けない」などという事態が続きます。
それは“常住”という観念を、物心ついた時分から植え付けられてしまったが故の弊害です。

“意業”という観念は、信者が心にふと思い浮かべる『真如苑に対する疑心』を否定させます。
それは、自分が思い浮かべたことを、呵責の念をもって即座に否定するという「自傷行為」に匹敵する出来事です。しかもその行為は当事者の“心の中”だけで起きていることであり、周囲の誰もが気づけない、密かに見えない所で繰り返し繰り返し起きている自傷行為です。

私はそれらの物事、“常住”や“意業”とは一体何なのだろうか?と、ずっと考えていました。当事者の心に、脳裏(海馬部分)に、一体どんな出来事が起こっているのだろうかと考えていました。私には、それらを学術的に考えることはできないのですが、観念的には『思うところ』があり、それらを理解することができました。
その『思うところ』の、一つの結論が“プロパガンダ”だったということです。

私が定義する「プロパガンダ」として、真如苑が意図して信者を誘導しているという確たる証拠を列挙せよと言われたら、それが上記の出来事なのです。心に生じる出来事ですから、ケースバイケースで人それぞれ。人によってその物事・出来事は違っていると思います。ただ誰にとっても、確たる動かざる部分は「真如苑に依存させられている」という共通点なのです。
その共通点は言葉を変え、状況に応じて様々に語られます。時にそれは「教えのお陰」という言葉であったり、「救い」という言葉であったり、「抜苦代受」と言われたり、「感謝」という言葉になったりします。アウトプットは人によって実に様々なのです。

真如苑の手口は網の目のように張り巡らされており、一つのポイントでそれを語ることはできません。そうして意図的に難解になっている手口は、「密教」という言葉に集約されています。その言葉は「容易に知りえない教え」という部分がデフォルメされ、解りづらいということが、「上求菩提」とか「縦の線」というシステムを裏から支えているという、これもまた難解な構造となっているのです。

以前に“シンプル vs 複雑”という記事を書きました。その想いのバックヤードにあるのは、こういった真如苑の「意図的な複雑さ」にあるのです。ただ、難解であることを至上とし、そういった構造にしないと成り立たないシステムというのは、その内に世間から疎まれる存在になることでしょう。
<谷居>

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