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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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HN:真如苑初心者さんへのメッセージ

HN:真如苑初心者さんという方から非公開でのコメントを頂戴しました。

非公開でコメントをいただいたという状況を考慮し、いただいた一言一句について返信することはこの記事上で行うことを避けたいと思います。真如苑初心者さん、これから綴る返信記事以上に深く回答が必要なようでしたら、私の反苑用メールアドレス han_en_tanny@yahoo.co.jp にて直接やりとりをさせていただいても此方としては一向に構わないということを、先ずはお伝えしておきます。

さて、以前にも記載しましたが、私は基本的に信者の方を個人的に否定する気はないのです。大人が自らの意志で選択し、真如苑活動(信者は信仰と呼びますが)を行う限りにおいて、外部の者がその良し悪しについて批判する意味など皆無だと思っています。ですから真如苑活動の中にある種の“救い”を見出して、それがあなたの状況に良い方向となるのでしたら、此方から敢えてそれを否定する必然などないのです。

真如苑は摂受の教えを説いていますから、あなたを許容し、その全てを包み込んだ上であなたを救いへと導いていくという方向性は、ある意味当然の流れなのだと思います。ただし、それはあくまでも真如苑の“入口”での出来事であると私個人としては思うのです。

私は事あるごとに記載しているのですが、真如苑についてそれが「いけないこと」と感じるのは以下の2点においてなのです。
①“お救け”という勧誘によって、本来は真如苑に触れなくて済む人を、自らの修行のために巻き込んでしまうこと
②真如苑だけが唯一無二で、そこにしか本当の救いの力はないと主張すること

智流院の入業資格は、私の記憶では3世帯のお救けだったと思います。会座への参座資格も、3世帯のお救けです。ただし、会座については勤労者申請もしくは障害者申請によって1世帯のお救けで済むという救済措置もあります。いずれにしても、智流院や会座などという「ステップアップ」のためには、勧誘によって他人を巻き込まなくては成し得ないシステムになっているのです。

何故、自らが向上するために“他人の入信”が必要なのでしょうか。真如苑都合での理由・理屈は明確に存在していますし、その理由・理屈は信者にとっては納得のできることなのだと思います。でも、一般的にはその理由・理屈は受け入れられるものではありません。「あなたが向上したいのならば、あなた自身でそれを完結させてください。あなた以外の第三者をその行為に巻き込むことは、あなたのエゴでしかありません」と、これが一般的な解釈なのです。
でも真如苑の解釈は違います。何故違うのか、それは「真如苑だけが本当の救いの力をもっている」というバックヤードを抱えているからです。このバックヤードを抱えた状況というのは、私が指摘する2点目の事柄に関連してくることなのです。「真如苑だけが唯一無二で、そこにしか本当の救いの力がない」などというのは、ただの傲慢とか虚言とか、自己顕示でしかないことです。人と人とが関わっていくという本来の人間の営みにおいて、その考え(真如苑が唯一無二)というのは攻撃性をもった思想となるのです。それは戦争の根源に繋がっています。「こっちの方が正しい」という正義は、その反勢力にとってはそれこそがただの敵です。“正義とその敵”という関係性とは、逆の立場からみたら、その正義こそが敵ということになっているのです。俯瞰的にお互いの立場をそれぞれ見てみれば、「相手が敵」と双方が言っているだけに過ぎないのです。だから、それは明確にいけないことなのです。


真如苑の活動を進めていくと、「自分が間違えていた」と思わされてしまう場面に必ず遭遇します。それはたとえば、「今のあなたのままの取り組みでは、本当の意味で因縁は断ち切ることができない」などという理由を伴って、あくまでも物事の原因をあなた(もしくはあなたの祖先)に位置づけることから始まります。それは
・ご先祖の苦しみ
・信仰障害霊
・世間法に流される
・身口意の三業
など、幾つかのキーワードから生じてくる出来事です。
そしてこの状況とは、真如苑活動が入口付近から駒を進めて、本題へと向かうことを意味するのです。

あなたが救いを求めるという気持ちが、この状況で利用されてしまうことが私にとって辛いことです。あなたにとっての救いとは、治療だけでは全てを補完することができないのと同じように、真如苑だけでもそれを補完することはできないのです。

あなたが求める救いは、あなたの中だけでしかそれを満たすことができないのです。それを満たすための手立てとして、治療があり、真如苑があるというのが今のあなたの状況なのだと私には受け止められます。

治療ならば、心身を回復させる手法としての投薬や問診などの聞き取りがあることでしょう。

真如苑ならばそれはどうなるか?それは「因縁を断ち切る」ということになるのです。けれども、因縁を断ち切るためという手段の中に、先のキーワードが巧妙に絡められているのです。あなたが真如苑に希求する物事に対して、摂受だった筈の真如苑がいつのまにかあなたに物事を要求してくるようになります。あなたを単に受け入れてくれるのではなく、「あなたのために」という建前でもってあなたに何らかの要求をしてくるようになるのです。
その要求に従ってあなたが何かを供出するということは、それは信仰ではなく“活動”ということになるのです。
・護摩/ 施餓鬼(共に一体につき500円です)
・歓喜(あくまでも建前上は任意とされています)
・接心修行の瞑迦料金(1,000円~)
・ご奉仕という名の無償労働
・他人を勧誘すること
上記が“要求”の実態です。

あなたは救いを求めて真如苑に帰苑しているのだと思います。けれども上記にみられる幾つかの“要求”は、冷静に考えればあなたが希求していることではない筈です。それらは帰苑に伴って、『救いを求めるための手法』として真如苑があなたに要求しているのです。巧みな理屈によって「あなたのためになること」と位置づけてあなたが自ら喜んで供出するように仕組まれているのです。

安価なお金だけでそれが済んでいるならばまだ良いのかもしれません。でも実際にはあなたの時間を定期的・反復的に供出しなければなりません。安価とはいえ次から次にお清めを繰り返し、空ける事無く有相接心に取り組まなければなりません。更にはあなたが苑に捧げている時間外においても、教書を熟読したり、読教をしたり、亡くなった伊藤家親子を心に思い浮かべなければなりません。無相接心と称される恒常的な修行に取り組まなければなりません。日常のありとあらゆる物事の判断基準を、真如苑の都合に照合させていかなければなりません。

月に2,000円くらいかかる。その程度で救われるのならばOKということであれば、それ以上私からは何も言うことはありません。ただ私の経験上、お伝えしておきたいことは以上の事柄なのです。
<谷居>

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