FC2ブログ

反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

不幸と幸せと信仰と(3部作 その3)

真如苑活動(信仰)の、取り組みの姿勢を信者に求める言葉があります。
「ご利益信仰をしてはいけない」
「身口意の三業を犯してはいけない」
「三つの歩みを怠ってはいけない」
等々。

結局これらは、真如苑にとっての免責事項でしかありません。「結ばれているだけで救われる」とか、「他の宗教よりも救いの力が流れる」などと真如苑は言いますが、その言葉には「条件」があるという『真如苑の都合』を正当化させるための免責事項です。

真如苑は、唯一無二の、究極の、お釈迦様の最後にして最高の教えであり、在家のままで救われる教えはここにしか存在しないと、主張しています。けれどもそれは、そのままの言葉通り、額面通りにとは行かないのです。環境と条件が整わなければその効果が発揮されないのです。

「あまねく一斎を救う」という言葉は、真如苑の公共性や社会性を表す言葉です。信者が真如苑の正統性を信じるエビデンスの一つといえるでしょう。
所がやはりそれも、救うための条件が伴っています。「苑費の切れ目が(救いの)力の切れ目」なのです。年会費を払わない限り、結局その力は発揮されないのです。

真如苑の活動指針(信仰のためのメニュー)は矛盾に満ちているため、条件だらけとなっています。
「確かな救いの力が流れる。けれどもその為には、教えを正しく歩まなければいけない。」
「教えとは、転ばぬ先の杖。けれども堕ちるのはアッと言う間で、因縁は待ってはくれない」
「結ばれているだけ救われる。けれどもご先祖様の苦しみを救うためには、教えに邁進して歩まなければいけない」

これら全ての矛盾を、包括して収める手立てが一つあります。
それは護摩や施餓鬼を焚くこと。それは苑費を払うこと。それは接心修業を受けること。それは歓喜をすること。

全てがお金で、収める事ができるようになっています。そして、その集金システムに於ては、矛盾も条件もなく、支払いを阻害する要素は、みごとな程に何一つありません。
<谷居>

スポンサーサイト



PageTop