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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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修行に成果はあるのか

寒修行開白のとある大寒の日、意を決して風呂場で水ごりをしたことが一度だけあります。
もう、詳細な部分の記憶は曖昧になっていますが、何かの用事で大寒の日に寒修行に参座できなかった時だったという事は覚えています。

家庭集会で、その事を話した時に「えっ?コイツ何やっちゃってんの?」的な、実に白々とした空気が漂った事は、今でもハッキリと覚えています。私としては、「たとえ寒修行のその場に参座できなくても、心は親苑に繋げているのだ」と言いたかったのですが、どうもその場の空気感は違っていました。「そこまでするのかよ」とか「所属の子信者にそこまでされてしまうと、経親の面子が立たなくなる」といった体裁だったのです。

寒40日の修行、白装束が赤く染まっても尚、井戸の氷を割って冷水をかぶっていた教主サマ。
風呂場での水ごりなんて、その域にはとても辿り着けないものだけど、その心意気が『修行には必要』。私は単にそう思っていたのです。

けれども寒修行など、所詮はただのイベント事なのだということがここでは露呈されていたのです。その期間にみんなで集まって、高揚感を多人数で共有する。それだけのイベントです。「修行」などというのは名目上の事であり、きっかけや口実でしかない。本気で修行など、日常レベルでできることではないのでしょう。
詰まるところ、『修行』などと大それた事ではなく、如何に早起きして時間をやり繰りするか。その都合と優先順位でしかない事なのです。

しかも、「遅出の寒修行」などという緩いイベントまで用意されているのですから、思わず苦笑いです。
<谷居>

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