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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

あとがきに代えて

一闡提さんに少しワガママを言いまして、2011年12月のブログは私・谷居の真如苑に対する考察のまとめを掲出させていただこうと目論みました。

ブログは後になって読み返す時に、最新の情報が先に先にと来る特性がありますので、日を追って頭から投稿してしまうと後でまとめて見る時には順序が逆となってしまいます。ですから最初の投稿が“あとがき”となり、12月末の最後の投稿が“まえがき”となる逆順序でアップデートすることにいたしました。

ブログをはじめてから早くも2年の月日が流れています。私が真如苑を脱退してから3年ちょっとの歳月を数える状況です。このブログは当初より一闡提さんの協力の下、真如苑の虚偽性とそれがもたらす害悪を、とあるテーマを中心としながら二人の考えによって進展させつつ、広義に真如苑による被害というものをあぶり出していこうという思惑がありました。ですから、ブログのタイトルを「反苑・往復書簡ブログ」としたのです。

ところが、フタを開けてみると当初の思惑とは必ずしも合致するものではなかったのですが、これはこれとして、私は大変気に入っている展開となっています。まぁ、結果オーライの典型といわれるかもしれませんが。。。

一つのテーマから二つの切り口で進展させるという意味での「往復書簡」とタイトル付けするのならば何の矛盾もないと思っています。けれども結果的には“一つのテーマ”が常にこのブログの中心には存在せずに、“二つの切り口”という展開が大半を占めるものとなっております。

その展開だけに注目すると「往復書簡」という言葉は適当ではないということになるのですが、往復書簡というスタイルが、全く当てはまらないものかというと、そうでもないと私は感じているのです。二つの切り口は必ずしも往復書簡ではない。でも、ここにある“二つの切り口”はこのまま大切にしていきたいという想いがあります。

ということで、2012年からはブログのタイトルを「反苑・往復書簡的寄稿ブログ」に変更しようと考えております。大した差はないのかもしれませんが、ちょっとしたこだわりということで軽く流してください。


私はこの2年間。反苑の会掲示板への投稿、ブログへの投稿、SNSでの発言、yahoo知恵袋での発言において、「真如苑の虚偽性とは何か」ということと、「どのように発言すれば、信者の方々に振り返ってもらうことができるだろうか」ということを、常に考えながら発言・投稿を繰り返しておりました。そして、それによる自分へのリワードは、『真如苑という呪縛からの解放』でした。そのことが、今はしっかりと自分の中に定着したという明確な自覚があります。

私がはじめて反苑の会の掲示板に投稿した時には、まだ信者マインドが色濃く残っており、明確な形をもって「真如苑の虚偽性」というものを捉えることができずにおりました。けれども今は、かなり明確な形をもって虚偽性を捉えることができるようになりました。その、現段階での“総括”として、真如苑についての私なりの考察をまとめようというのが、この12月の試みです。


真如苑という詐欺にひっかかったことは、私の汚点というか、恥部というか。そういう意味での恥さらしな側面が、このブログの表裏となっているのは否めません。特にこの12月の試みは私の恥部に直結する記事も多いのです。
けれども、そうしてありのままを露呈することによって、真如苑に騙される人が一人でも減るのだとしたら、それが本望というものです。そういった、他人にとってのある種の手がかりとなることを願いながら、「考察・真如苑」のあとがきに代えてみました。

2011年 12月 谷居

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コメント


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因縁地獄からの脱会

もう2年も経つのですね。
現信者も「このままではいけない。」と教えの単純明快な世界で思うことはあると思います。
自分を変えようとするには強いモチベーションと意志力が必要です。
教えでは霊、因縁の恐怖を示して信者に教えのためになる人材となるように自分を変えようとする動機を与え続けます。
しかし、その悪意と欺瞞に満ちた手法に気づいて教えをやめようとする強い動機となることもあります。
その二面性は教えの
中で「徳と因縁との引き合い」と言われますが、世間ではネズミ講型新興宗教の地獄から奪回できるかできないかの分かれ道となります。

一闡提 | URL | 2011-12-01(Thu)07:10 [編集]


これから3年目をむかえる・・・

一闡提さん
2年経過しましたね。

>世間ではネズミ講型新興宗教の地獄から
>奪回できるかできないかの分かれ道となります。
この、岐路については私も考えさせられているのです。
後に記載する記事に、岐路について少し触れています。

世間では、岐路が見えるのに、信者にとっては「教えに邁進するしかない」という一本道しか見えないという状況。
教えの都合に追い立てられ、冷静な判断をすることができない信者が、その落とし穴に落ちていくのです。

谷居 | URL | 2011-12-01(Thu)23:38 [編集]