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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

真如苑を辞める恐怖/ 信仰障害霊

【信仰障害霊】
信仰の手法に、正しいものとそうではないものがあるというのが、真如苑のロジックです。正しい信仰と対極にあるものの一つは『ご利益信仰』と呼ばれ、いわば神頼みや願い事がその部類となります。
ご利益に浴することだけを目的とし、その返礼(お礼参りのようなもの)をしない自分勝手な信仰は、真如苑のロジックによれば、『間違った信仰』と定義されます。
信者が真如苑を疑う気持ちや、その活動が停滞する時には、決まって自分のご先祖がそれまでやっていた『ご利益信仰』が原因の一つであると決め付けるのが、真如苑の常套手段です。間違った信仰が障害となって、真如苑の歩みを停滞させる。その停滞させる力とは、信者自らの心の在りように原因があるのではなく、あくまでも“ご先祖様の間違った信仰”に原因があるというのが、その手口です。

それによって、真如苑に対して疑念を抱くのは「自分の本心・本意」ではなく、「ご先祖様による悪い作用」なのだと、信者に思い込ませる効力が発揮されます。

信者が真如苑に対して疑念を抱き、自らの意志で情報収集し、判断をする時。その判断の『根拠』を“信仰障害霊”という詭弁が不確かなものにさせるのです。その根拠が『理屈や正しい状況判断』ではなく、『信仰障害霊』という自らの力が及ばない、霊界という架空の空間に存在する原因にすり替えられてしまうのです。

自らの情報収集と判断が正しいのか、それとも真如苑の定義する“信仰障害霊”が正しいのか。その二択の決断は、真如苑という囲い込みの組織の下に置いては、決して正しく選択されることはないのです。

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コメント


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信仰障害霊は教えを疑う心への教えからの牽制です。
そして接心では比較的早く示されます。
私は五回目の接心で示されました。
さらに特別相談接心では神道系の信仰障害霊が示されています。
宗教法人の信者登録人数が一番多いのは神道です。大抵の人は近くにお宮があり、そこに自分や先祖がお参りしたことにリアリティを感じるでしょう。
神社にお参りしてご利益をもらうことさえも教えの中では信仰障害であり、力の無い神様から力をもらうことさえも因縁となってしまいます。
そして最高の教えによって浄めなければ因縁に倒されてしまうのです。

一闡堤 | URL | 2011-12-02(Fri)07:54 [編集]


教えを疑う心への牽制

一闡提さん

信仰障害霊は、「教えを辞めることへの恐怖心」とは直接的には結びつかないのですが、教えに対する疑念とか、『真如苑は間違っているんじゃないか?』といった類の疑心などに対して、はぐらかしの効果があると思うのです。

真如苑だけが唯一無二であるという根底においてしか、神道への否定は成立しないのですよね。

私は、神社にお参りして神頼み、ご利益享受という事柄に対して「ご利益信仰だ」と決め付けるのは随分と雑というか、大胆というか、ご都合主義的なロジックだと思うのです。

神頼みで、そこにすがるしかないとまで追い詰められた状況というものがあったとしても、それは“深呼吸をする”というのと同じ意味合いにおいての、心の安息を希求する行為だと思うのです。

そして、新年を迎えて初詣に行くことなどは、『ご利益信仰』ではなく行事というか、習慣的なことというか、一つのイベントみたいなもので、お祭りとか盆踊りとか、そういったものと、その主旨(取り組む人の心構え)は何らかわらないのだと思います。

谷居 | URL | 2011-12-02(Fri)10:26 [編集]