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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

接心・家庭集会 備忘録

~ 一闡提 ~  2010/01/21 08:22
「数々の証拠に残る教えの薄さと巧妙さ」

この教えで証拠が残るのは、苑費の振り込みの領収と入信、退苑の控え、会座の参座カードなどです。
教えの取り組みに支払ったものは残りません。残るのは、思考に植え付けられた因縁に倒される「恐怖心」などによる取り組まなければならない心であり、教えに都合の悪い情報を遮断する心です。
教義は完璧ではありませんので、ある時気づいてしまう事もあり、一生気づかないこともあります。気づくのに助けとなるのは、自分で記録しておいたメモや記録だと思います。
それを読み返すことによっておかしいと気づいたときに、その痕跡を辿ることで裏付けられると思います。
私の場合は6年間で接心を82回受け、その内容を全て電磁的に記録しているので、数ある曖昧な言葉の中から、集会や上求菩提につなげる言葉が目立ちます。そうした中から教義の本質は智流院で習うといわれながら、一般信者にはただ盲目的な信仰を勧め、それにつなげるための妄想を広げるために、自らの悩みを集会の場で話させることによって苑で言う教師にそれを手助けさせる意図が見られます。
そのような後から取って付けられた因縁地獄から抜け出すため、抜け出した後のケアの為にも記録は役に立つと思います。




~ 谷居 ~  2010/01/22 18:00
「接心での霊言メモ」

一闡提さん、きちんと記録されていますね。6年間で接心修行82回ですか。月にして、1回プラスアルファという回数ですね。僕の記録は、比べれば相当ルーズなものです。メモ帳に、気が向いた程度にしたためてあるという感じです。それでも仰る通り、「おかしいと気づいたときに、その痕跡を辿ることで裏付けられる」に充分な記録であったと思います。僕がメモしていたことは、大よそ以下に分類されます。
・接心修行での、霊言のメモ
・帰苑した時に、気づいたことの備忘メモ
・家庭集会で、経親からレクチャーされたこと

接心修行での霊言については、一言一句を記録しているわけではなく、当然このメモには自分流の解釈を持って省略して書いていると思います。しかし、大よそ言われたことに沿った記録であるようです。
全てを書き出すとキリがないほどですので、いくつかをピックアップしてみます。

【接心修行で示された霊言】
・今まで続けてこられた“自分の努力”は、自分をここまで牽引してくれた人達のお陰
 なのである。 その感謝の気持ちを忘れてはいけない
・足元の、当たり前のことへの感謝を忘れてはいけない
・水車の中の歯車のごとく、誰に対しても自分を合わせ、円滑に回っていくことが必要
・3つの歩みが大切
・相手に生かされている感謝の気持ちでいること
・会座に参座していますか?
・多くの人のお役に立つあなただから、み力をいただいたはずです
・身近な人に、教えを語っていますか?
・『合掌』が示されます。右手---仏様・他人様、は立派です。左手---仏様に添う自分
 が小さいです。合わせた 手と手の間に、黒い心はないはず。右手に沿っていくはずの
 左手の覚悟が小さい。一如の道345頁を 繰り返し読むことです
・努力をして、実践していったらその先は明るい
・徳積みが必要です。特に、お救け
・お客様の所へ訪問する前に、心の中で祈りが必要
・真如苑を背負って、仕事に取り組むこと
・会座は、条件がそろってから始めようと決めるのではなく、先ず覚悟。そこに行こうと
 決める心が一番最初に必要。霊位の向上は、他人に誇るものではなく因縁を断ち切る
 ためのもの。心を最初に決めてから、そこから色々な事に取り組めばよい。その取り組み
 の先に、双親(様)がいらっしゃる
・立願と寒修行の取り組みが大事です。経親さんに上求菩提すること
・夫婦の和合が大事
・何かあったら常に上求菩提。決断する前に接心修行を受けること
・職場の和合はできていますか?(谷居:できていません。)唯一無二の教えに取り組んで
 いることを誇りに思うことです。そして、感謝を忘れないことです。ご先祖様の無念が
 あり、そして今の自分の境遇がある。それを判らせてもらったことに感謝してください。
・無用の恨み、妬みをかわぬよう、一言発する前に祈り。そして、上求菩提
・信行解が示されます。一如の道128頁を繰り返し読んでください
・双親(様)のみ心とは、信心を通して自分が体解したもの。そしてそれを人に伝える
 のがお救けです
・戦国武士が示されます。忍辱するけれど、直ぐに怒るのは、戦国武士が刀を振りかざす
 ことと同じ
・仕事が自分に向いているとか、向いていないとか、そういう問題ではなく教えを中心に
 取り組んでいくこと
・苑歌:尊くも 今の命があることは 教え広める ためと知れ
・自分の心を、双親(様)、両童子(様)に添わせていく。喜びがあった時にこそ、心の中で
 ご報告しましょう。それが、常住であるということです

霊言は、自分から物事を考えさせることを阻む言葉ばかりです。滅私、祈り、双親・両童子崇拝、如苑人として事に取り組む、といった言葉に集約できるようです。そして、そこに“常住”、“因縁切り”、“お救け”といった言葉が散りばめられています。

このあやふやで、かつ重要なキーワードが散りばめられた霊言に対して、家庭集会という裏づけの場所が用意されているのです。家庭集会の備忘録ついては、次回にて。




~ 一闡提 ~  2010/01/22 12:28
「立ち止まったときに思考の助けになる記録」

因縁から逃れるためのご利益を馬の鼻先に人参をぶら下げるように信者を走らそうとする教えは、信者が立ち止まって考え出すと必ず粗が発見されてしまいます。
そこで、在家の教えでもあり、精舎へ行けない時には家庭集会、合同集会、上求菩提などの要素によって信者に立ち止まって考えさせない取り組みが数多く用意されています。
また、立ち止まって気づいてしまっても手段が準備されています。「堕ちた人」とその人との情報を遮断したり、人格否定をするかのように、気づいた人をモラルハラスメントのように責めることもあります。
信者が気づいてしまうと、さっと引いて期を伺おうとする経(すじ)親、強引に周囲を使い教えの信憑性を示そうとする導き親など、教えの本旨が必ずしも末端まで伝わらないため、更に嫌気をもよおさせてカルト性について検証させてしまう方向に向かわせてしまうのは、積極的に嫌がらせを行う信者の行動だと思います。
その様な状態でもまだ対策が施されています。「それは心ない一部の信者が行ったこと。」そして、所属に辞められた導き親は更に取り組むようにし向けられています。
そうした精神的暴力ともいえる宗教モラルハラスメントを行わなければならない信者の思考は、理解できない事もないですが死活問題だと思います。
霊界への徳の貯金は記録されては、何事も変わっていない事が分かり、霊界からの言葉も何度も同じような事を言われていることが一目瞭然となってしまいます。ここでもその対策があります。「同じような霊言ばかりなのは、あなたの取り組みが足りないから。」
また、走らされているのに気づき始めて取り組み中の信者との押し問答を行うことは、「のれんに腕押し」のごとく解決にならないのに気づきます。
以前に「取り組みの数のネズミ算」、「救われない霊のネズミ算」、と書きましたが、信者に教えを否定して発狂させたならばトラブルの数だけ接心、施餓鬼、護摩などの取り組みのネズミ算に波及し、金銭が教団に流れるということに気づくこともできます。




~ 谷居 ~  2010/01/23 22:15
「家庭集会での経親発言メモ」

ここ直近の僕は、カルトの矛盾に気づいていく過程で『お金』が強いきっかけになるのではないかという推察をしています。しかしながら、真如苑の手段は相当巧妙であり、やはり直接“お金を出しなさい”と感じさせるような言葉は中々見受けられないようです。
僕が記録していた家庭集会での経親の指導は、「教えに邁進させる」ためのキーワードが多く見つかります。しかしほんの少しだけ、『お金を出しなさい』という意味に直結する言葉がありました。

【家庭集会での経親の言葉】
・教えとは、観念的に判ったり知識として身につけるものではなく、行ってはじめて知っていく
・お勝手を綺麗にしていると、食事に苦労しない。トイレを常に綺麗にしておくとよい
・教えの船、大乗の船に乗っていても漕ぐのは自分。手を休めると因縁に捉われる
・『誠』とは、他の為に思う気持ち。ご賛題は誠を持って、仏様の為に唱える。
・お救けが繋がらないのは、『義務感を持っている』から。自ら願い、『させていただく』
 気持ちで自分流に話すのではなく、双親(様)の辿られた道を伝えていく
・ご霊言は、尊くいただき、体解する
・『善』という法脈に繋がっていれば、悪は滅びる
・幸せな教えに恵まれた感謝を持ち、教えの内容を深める
・お救けは、自分の力ではなく、双親(様)、両童子(様)のお力でなるもの
・自分を磨くことで、リブライに気づくようになる
・自分の意識を変えていく必要がある
・お救けは、相手の入信を優先させるのではなく教えの素晴らしさ、その中身を語ることが大事
・苦しんで亡くなった方は、あの世でも苦しんでいる。それを救うのは、現世の自分。
 自分が(教えに対して)動かなければ、ご先祖様も動けない
・会座を進めていくと、自分の信心の度合いを試される事象が多くなる。それを乗り越えていく
 ことが一番大事なこと。自分の心を強くして、乗り越えていく
・他の為の精進。自分の為ではない
・お救けは、自分が喜びを感じて話すこと。本当に相手を「救いたい」と思って話せば、相手は
 その言葉を聞いてくれる
・お助けの時は、相手は鏡である。相手の姿を通して、自分の信心のレベルを知る。
 教えに巡りあえて生かされている感謝の気持ちを、本当に自分が持っていれば、
 相手を動かす言葉が出る
・お金を欲のためにつかうと苦しむ。徳のために使うと帰ってくる。命の次に、人間が執着する
 お金に綺麗でいること
・お施餓鬼だけで安心するのではなく、自分が更に精進することを考える
・接心修行によって、六波羅蜜の修行をする。お救けは、喜びで取り組み、毎月続けること
・信心とは、自分を変えていく修行。普通の生活では、持って生まれた因縁により苦しむ。
 それを信心によって変えていくことで、自分が救われ、喜びになる

家庭集会では、「もう何も自分からは考えなくていいから、教えが意味することを理解して、その通りに歩いていけばいいのだよ」と言っているように、受け止められます。
そして、小出しに「お金、出してね」とも言ってますね。

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コメント


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所詮金儲け

信者にはお金に執着するのは善くないと刷り込むから一つ一つの払い込みを記録したりはしないんでしょうね。 結果証拠は残りません…巧妙な心理操作です。

立川人 | URL | 2010-01-22(Fri)15:16 [編集]


お金の出具合を、キッチリとメモしていたら、教えのあくどさに気づく人も多くなると思います。

お金の問題の前に、如苑の取り組みを「喜びと感謝の気持ちをもって」なんて言ってますよね。それからその後に「喜びと感謝の気持ちで、小額のお金を出しなさい」と言っています。
そして、何度も何度も「小額のお金を出しなさい」を繰り返していますからね。

谷居 | URL | 2010-01-23(Sat)22:25 [編集]