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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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谷居のプロフィール 3/4

私は、インターネットのコミュニケーションには精通している自負があります。11年前から、自らインターネットサークルを立ち上げ、メーリングリスト、掲示板、オフ会など、様々なコミュニケーションを仕切っていました。
ですから、ネット上での書き込みの真贋について見極める目は肥えていると、自信を持っています。掲示板でのウソは、簡単に見抜ける自信を持っています。

私が閲覧した“反苑の会”。その掲示板に対して、私は動揺を隠せませんでした。
そこには、私のインターネット経験からすると明確に「本当のこと」として、真如苑による被害や横暴が書かれていたのです。私は、「もはや大所帯となってしまった真如苑には、不遜な信者がいても仕方がないだろう。でもココ(反苑の会)に書かれている出来事は、全体の10%くらいのことだろう。その位の確率で、不遜な人間というものは、どこの世界においてもいるものである」と考え、自らを納得させました。反苑の会は10%くらいの少数な出来事を、さも真如苑の全体像であるかのように流布しているサイト・・・。それが、私にとっての反苑の会でした。

当時の私は真如苑に対して真剣に取り組むことを立願していました。そして、やるからには絶対に霊能者になる。自分は、常に身奇麗でいるべきであると誓い、真剣に真如苑に取り組む。それが3年前の私の信念でした。

そこで私は、かつて自分の経親が行ったある行為をどうしても許容することができずにいました。それは “家庭集会”と呼ばれている、経親宅で行われる月一回のミーティングにおいて、経親が集まった子信者に対して物品の斡旋販売をしていた事です。

“梨下に冠を直さず” “瓜田で靴ヒモを直さず”。それは、私のポリシーです。梨の木の下で冠(帽子)を触れば、梨泥棒に間違えられる。スイカ畑で靴紐をなおせば、スイカ泥棒に間違えられる。ややこしい、まぎらわしいことはしない、というそれです。

家庭集会は、真如苑のための集まりです。その場において、真如苑とは関係のない内職をするという、経親の行為は、私にとっては真如苑の集会に対する冒涜なのです。けれども経親は「単に真如苑の仲間ということではなく、ご近所の友人でもある。家庭集会が終わったその後で、家庭内でお茶を飲みながら過ごす時間は真如苑の時間とは違うでしょ」といって、私の考え方を否定します。一方私は、「ご近所の友人に対して販売の斡旋をするのならば、真如苑の為に集まった時間でそれをするのは間違えている。だからその場は一端解散させて、たとえ同じ日であっても時間を改めて、『内職のための集まり』として再度時間を設けなければダメなのだ」と主張します。話は、全くの平行線でした。そして私は、自分が真如苑に対して真面目に取り組む限りにおいてはどうしても許せないこの行為を、部会長に直訴しました。

部会長の直訴を遠目に見ていた経親。後になって電話が我が家にかかってきました。
「一体何を話したんだ?何事もオープンに話さなければダメでしょ」というので、その許せない行為を直訴したことを伝えた途端に、経親の逆ギレが起こりました。
「アンタの考えは幼稚だ!」
「こっちは奇麗事だけでココまで来たんじゃないんだ!」
などなど、まるでヤクザと同じ恫喝に、私は電話口で辟易としました。

その逆ギレの有り様は、かつて私が「反苑の会」のサイトで見たものと、寸分違わぬものでした。その事に、私は強い衝撃を受けたのです。10%にも満たない出来事であろうと思っていた“真如苑の暗黒部分”。それが、今目の前で起きているという現実。10%どころではない。それは100%なのだろうか?

それでも尚、私は“真如苑”の下(もと)にある“宗教”を信じていました。
当時の心境を私は反苑の会で以下のように綴っています。

>私が訴えたのは、霊位の剥奪にもつながるような内容でしたから、
>脅しをいれてくるのも当然かと思います。
>後ろめたさがなければ、人を脅すようなことはしないと思うのですが、
> 何故自己を省みることなく、人を攻撃するような行動にでるのか。
>本当にやましくなければ、攻撃する必要などないのではないかと
>思うのです。だから、逆切れされた時に、「あぁ、この経はもうダメだ」
> と思いました。でも、仮に経を変えたとしても、
>変った先でまた同じようなことを繰り返さないとも限らないし。
>S親制度というものが、既に崩壊している制度だと思います。
>涅槃経に触れたことは、ありがたいことですし、
>信心の気持ちを少しでも持つことができたことは
>ありがたいことなのですが。


当座の私は、真如苑の“縦割り”というシステムに疑問を持ちながらも、涅槃経というありがたいお経に触れていたい。そして、霊能者になりたい。という想いを強く抱えていました。

そして、“真如苑”という体制そのものが誤りであったと結論付けた後も、上記の引用部分のように、涅槃経はありがたいお経だと、信じていたのです。

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コメント


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上から流れてくる力が断ち切られる時

教えは上から流れてくると言われます。
悩みや教えの疑問も上へと繋げなければなりません。
それは、悪い情報を横から受けないための縦割り組織の目的を果たすためです。
木の根の様に張り巡らされた経制度の中で、上が腐ってしまえばそこから下に栄養(力)が行かなくなり、そこから下が腐ると、教団という木に養分(金銭)が上がらなくなります。
谷居さんのケースは経内でマルチ商法をしてしまったケースですが、私が家庭集会に出ていた頃にも禁じられていました。
しかし、マインドコントロールされていた私は、「そんなことをする人はあるのだろうか。」と聞き流す程度でした。
いざ自らの経の導き親以上の信者が教えに酔わされて、自分の不思議を誇張し出すと、こちらが醒めてしまい、当時経親が体調を崩していて統制ができない状況でしたので、次期経親候補と言われていたその信者は影響力を及ぼしたかったのでしょう。
そこから私は取り組まなくなり、家族信者の逆切れも経験し、教えにささやかな期待を持ちながらもネットに情報を求めたのでした。
今思えば、一筋の光が自分に差して、それに対して反応する事で因縁地獄から奪還できたと思っています。教えへの期待は金銭を教団に支払わなければならないマッチポンプのための霊、因縁による恐怖心でした。
経親候補の教えに酔った態度はうかつでしたが、それを統制しながら経をまとめていた経親の手腕がそのとき切れなかったら、私は今でも続けていたかも知れません。
はまってしまった人への一筋の光は容易にかき消されてしまいます。
より効果があるのは、まだマインドコントロールが深くない人です。

一闡提 | URL | 2011-12-26(Mon)06:27 [編集]


面白い。

市民 | URL | 2018-12-06(Thu)15:35 [編集]


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