FC2ブログ

反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

真如苑的プロパガンダ・その3

産経新聞の、2012年1月30日の記事。私は、その記事を読んで強い衝撃をうけました。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120130/art12013007310001-n1.htm
いつしかデッドリンクになると思いますので、全文を勝手ではありますが引用掲載いたします。

~~~~~
断ち切れないもの:寄稿 田中慎弥さん 芥川賞に決まって

今回、芥川賞をもらうことになった「共喰(ぐ)い」という作品を私が書き始めたのは、丁度去年の今頃だったと思うが、東日本大震災が起こる前かあとかは覚えていない。月刊誌に連載を持っていてそちらへ大きな力を振り向けていたため、別のものを並行して書くことが可能だろうかと不安を感じていた。担当編集者に無理を言って待ってもらい、それでものろのろと書き始め、一方で連載にも追われる、ということをやっていた。

 地震と津波の映像をテレビで見た。驚いたが、映画のようだとは思わなかった。かといってその圧倒的な出来事の実感を肌身に受けたわけでは、勿論ない。私は山口県に住んでいる。直接的な被害はない。だが、海は近い。なのに、やはり実感はない。

 次の日からは、時々テレビを見て、あとは仕事をする、という状態になった。画面に見入る時の気持ちはどのようなものであったか。東北がどうなっているかを、見守る? 心配する? しかし東北に親族はいないのだから切実ではない。それなら、いつか自分の身に起こるかもしれない、という危機感に駆られていた? 実感がないのだからこれもやはり違う気がする。

 どのような理由をつけてみても、西日本から動かないまま報道に接するだけという姿勢は、結局自分が一番大事ということの表れ。政治家やマスコミ、芸能人、そして作家たちも被災地に入った。私は動かず、ものになるのかどうか分からない小説の仕事をし続けた。自分のことだけを考え、他のことをほとんど頭に入れずに、虚構の世界を作り上げていった。罪悪感は特になかった。毎日を徹底して身勝手に過ごし、自分の作品に対してのみ謙虚だった。世の中の動きと全く関係のないところで、自分のためだけに懸命に仕事をし、やめようと思わず、むしろのめり込んだ。喜びでさえあった。震災が起こらなくてもきっと同様だった。あの大震災は私の仕事にほとんどなんの変化ももたらさなかった。

 「共喰い」には川が出てくる。ある年の夏、その川は雨に恵まれず、日差しに攻められ、やがて一気に水量が増す、という展開となる。道路にまで水が溢(あふ)れるというのは、特に津波を意識したものではない。また、父子、母子、夫婦、という人間関係を中心に描いたが、当然ながら、絆、という日本中に流通した言葉を踏まえたわけではない。もしこの小説の中に絆があるとすれば、断ち切りたくても断ち切れないもの、やっかいなものとして描いてあると思う。

 震災からもうすぐ1年だが、被災者たちがどのような心境なのか、私にはわからない。絆という言葉をよすがに生きているとして、それを非難はしない。自分一人が、ではなく多くの人が幸せになれば一番いい。

 私は自分の今と将来だけしか頭にない。周りのものが見えてくると、書けなくなってしまうかもしれない。それとも、これまでにない作品が生まれるだろうか。


~~~~~

私はまだ田中慎弥氏の作品を読んだことはなく、氏の思想に触れたのはこの記事が初めてでした。私は、ここに綴られていることは、物書きとして文章を生業としている人ならではの、的確な心理描写だと思います。ただ一つ、私の思惑とは合致しないのは、文末に綴られていることだけです。「それとも、これまでにない作品が生まれるだろうか。」という一文に、私個人としては物書き特有の“自己宣伝”を嗅ぎとってしまいます。せっかくの素晴らしい思想なのですが、それは基本的には“「共喰い」が芥川賞に決まったことを受けて”という内容ですから、当然のこととして「共喰い」の次の作品への期待感を煽らなければいけないわけです。ですから「生まれるだろうか。」という締めくくりは、寄稿のコンセプトとしては問題ない---という事は、一応理解はしているつもりです。

その部分は置いておくとして、私が感銘を受けたのは『今回の震災を、どこかしら他人事として捉えている人間』という描写です。日本人全員が被災したわけではないのですから、至極当然だと思います。その根幹を考えれば、私が著名人や芸能人の訃報記事を読んでも全くの他人事だと思うことや、隣家の葬儀があっても自分の生活に何の影響も及ぼさないと感じることに、通じている気がするのです。

私は20歳の時に高校の同級生が亡くなり、その葬儀に出たことがあります。亡くなった彼は高校時代の3年間はバンド仲間として常に一緒にいた人です。卒業して、お互いの道を進んでからは疎遠になり、当時は携帯やパソコンもない時代ですからメールなどでコミュニケーションをとっていたわけでもなく、2年以上交流のない状態で聞いた訃報でした。
その当時に参列した葬儀においては、成人式で地元で高校の同級生に会うこととは置かれている環境が全く違いますが、立ち位置は同じようなものでした。ほとんどの誰もが3年振りに会う人ばかりであり、葬儀の列に並んだ人で、亡くなった彼とその時点で親しくしていた人は僅か数人という状態でした。
私はそこで、かつての同級生である女子が泣いていたのを見て、強い違和感を覚えていました。その女子は、亡くなった彼と交流があったわけでもなく、交際していたわけでもありません。グループ分けを敢えてするならば、むしろ全く交流がない者同士という関係でした。ですから泣いている理由が、20歳の私には理解できなかったのです。それは今もって、理由を探ることはできるとしても、やはり“理解”することはできない心境なのです。
そういう部分においては、私は冷徹な人間なのかもしれません。けれども、そこで泣いていたからといって、明日になればその彼女の生活が何か変わるわけではないのだと思います。精神的な支柱でもなく、日常での関わりもなく、それはただの昔の知り合いなだけなのですから、そこで泣くことは単なる“感傷”でしかないと思うのです。
けれども私もまた、その感傷を失礼だと思える立場ではなく、彼の葬儀に出た帰り道には、また元の普通の生活に戻るだけの人間でした。“死”という絶対的な終末をもってして、それで生活が一変してしまう人たち(彼の両親や、周囲の仲間、恋人など)もいれば、葬儀が終わった後にはそれまでと何一つ変わらない生活を送る人たちもいるという状況。そこに私が感じるのは、無力感に似たものでしたが、それを感じることによって何かが変わるわけでも、やはりなかったのです。

今回の震災においても、その前後で何も変わらない人がいるのは、これまた至極当然なことだと思います。日本人全員が被災したわけではないのです。それは、私のように関東地区に住む人間にしてみても、震災直後の街の喧騒を抜けて仕事を進めることに苦労したり、数日間市場から枯渇したガソリンや食品の手配に四苦八苦したりと、その程度の苦労をしただけで、後は自分の生活を回していくのがやっとのことであるという人も、実に多いのだろうという確信です。突き詰めれば私にとっては「つながろうニッポン」とか「絆」、「頑張ろう東北」というスローガンは何ももたらさないものなのです。その事が罪悪なのか、はたまた現実で仕方ないことであったのか、その明確な答えに窮していた私にとって、前述の寄稿は実に衝撃的なものだったのです。

私は、「真如苑が震災を狡猾に利用している」という記事を幾度か記載しました。その記事を書きながら、「逆の意味で震災を利用しているのは、自分自身なのではないか?」という自問を繰り返していました。けれども、今回私は確信をもって、「真如苑が震災を悪用している」と言えるだけの論拠を得る事ができました。

昨年の東日本大震災は、日本人全員に、平等に降りかかっていることではないのです。そしてその対応も、全ての人がボランティアや義援をできる状況ではないということは、やはり厳然たる事実なのだと思います。

震災の直後から、「×××をやっている場合か?」と自問した人は大勢いらっしゃると思います。芸術や芸能関係、スポーツで生計を立てているプロスポーツ選手などは、ある意味デフォルメされたその典型でしょう。けれどもその「×××」が、生活の生業そのもの、本業であるのならば「×××をやっている場合でよい」のだと思います。むしろ生業を続けることこそが、唯一の正解なのだと私は思います。

ですから真如苑も、“サーブ”などと悠長なボランティア活動をやっている場合ではなかったのだと思います。少しでも早く、一人でも多くの人に「救いの力」をもたらせてあげることこそが、真如苑のやるべきことなのだと思うのです。震災という理不尽を取り除いてあげるための、抜苦代受や因縁切りの活動をやることを。

けれども、震災直後の彼の地に出向いて「真如苑に結ばれていれば、救われます」などとは、さすがに言えなかったでしょう。だからこそ「先ずはボランティア」ということで、サーブが出向いたのだと思います。でも、本当に「救いの力」というものが真如苑にあるのならば、震災が起こった後になってから義援だのボランティアだのと、そんな悠長なことを言ってないで、最初から救いの力を発動させていればよかったのだと思います。

そもそも人足としてのボランティア活動であれば、それは何も『真如苑の看板』を背負うことではないのです。ですから『サーブ』という呼称は、“人助け”に繋がる利他的な活動をシンボライズさせるためのデフォルメでしかありません。本当の利他行ならば、真如苑の看板など背負わずに黙々とやればよいだけのことであり、しかもその利他行(ボランティア活動)は本来の真如苑の生業からしてみても、それとは遥かにかけ離れてることなのです。
ですから、“『サーブ』としてボランティア活動をしています”という出来事に、私はプロパガンダを感じ取ります。「×××をやっている場合か?」という自問があるのだとしたら、それは真如苑にとっては「ボランティアをやっている場合か?」ということなのです。そんな悠長なことをしていないで、一人でも多くの人を、自らの生業をもって救いだせと言いたいのです。

ただ、そんなことはできるはずがないのです。震災を事前に軽くさせたり(大事が小事)はできないのです。ましてや、抜苦代受の発動においては「事前に救い出してあげること」などは、絶対にできない事なのです。

後になって、結果が出てしまったその後ならば、誰にでも、幾らでも、「救いの力」などは何とでも言えることなのです。それを事前に示すことができないという厳然たる事実が、「真如霊界から、何でもお見通し」という言葉が嘘であることの証明となっているのです。<谷居>

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

はぐらかす人たち

震災に乗じて教えを広めようとするのは火事場泥棒です。
それができないのは、ネズミ講を本業としているが故でしょう。
真如苑の教えは、人の心の火事場を利用したり、霊、因縁の恐怖を植え付けたりして、人の心を火事場にします。「燃え上がる」と称して護摩の炎に見立ててその恐怖から逃れるために教えに邁進させます。
やはり、その巧妙な手口に直接的にも間接的にも直面しない人にとっては信じられないことであり、日常に変化のないことなのです。
その様な心理も利用しながら教えに関する悪いことははぐらかしながら、実害が無いかのように振る舞うのが教えの運営側です。
ネットによる情報交換によって教えとネズミ講が繋がる時、実害を避ける糸口が見つかるのです。
忍び寄る真如苑信者による勧誘によって、嘘の多い教えによって弱った心が解消できると思い、教えを続けてしまうことの危険性を、真如苑信者であることを明かされた段階から対処できるようになることが必要なのです。
そのことに人々がネットで気づこうと
するのを、教え関係者はこれからもはぐらかし続けるでしょう。
それが、お見通しではない教えを気づかれないように弘めるための苦肉の策だからです。

一闡提 | URL | 2012-02-15(Wed)12:43 [編集]


最近感じるのは彼らは表面しか見ません。
深く考えません。
考えることで、今の自分の安住の場所を壊されることを無意識に避けているのかは判りませんが、あまりに単純で見当違いに感じることがあります。
だからこそ体面上だけで誤魔化す処置をせざるおえない、その姿は滑稽に思います。
両手で耳を塞いで「あーっ、あーっ、聞こえない!。」と叫んでいるようにも思います。
その姿は哀れで気の毒です。

緋色 | URL | 2012-02-16(Thu)09:23 [編集]


最近「ボランティア」には行っているのか?

谷居さんは率直だと思います。

私は自分自身のやむにやまれずという部分と地域での部署(連合町内会の防災部)を担当しているという部分で,一週間の避難所の運営にあたりました(内陸部なので津波の被害はなかったけど,さまざまな人がいました。また,知り合いが津波で亡くなっています)。

社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターでサーブの方と一緒になったのですが,後かたづけとかではないあり方があるべきだったのではないかな~曹洞宗の方々は「行茶」を行っていた。

いろいろ家族内でも遣り取りがあり,その成り行きを外から見ていたが,やはりプロパガンダか…

酔道士 | URL | 2012-02-23(Thu)21:38 [編集]