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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

コールドリーディングを逆手に取る

とあるSNSで真如苑の接心に仕方なく行かなければならず、霊能者に誤った情報を与えて誤った答えが返ってきた、というレポートを見て微笑ましく思いました。
その人は二度と、と言うよりもこの先騙されることは無いでしょう。教団内の地位を日常でも振りかざす信者に負けることなく、教えの手口に引っかかることがなければ、真如苑被害を最小限に抑えられるでしょう。
「墜ちるのはあっと言う間。」と恐れさせられているよりも、出鱈目な予言の様な言葉を信じさせようとする行為を墜ちた行為と思えることが健全です。〈一闡提〉

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コメント


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離苑する事に不安を感じている方の為に

私は離苑して、1年半になります。苑を離れて、かなり環境の変化がありました。それまで人間関係が苑中心だったので、離苑を境に、法友を含めた苑関係者から避けられ、音信不通となりました。離苑当初は、教えから離れた事で霊線から外れ、何か悪い事があるのではないか?という不安と、これからの先の見えない生活で路頭に迷っていたものでした。半年近く経つと、このようなブログに書き込みが出来るくらいになり、仕事も派遣社員としての職を見つける事が出来るようになり、苑の外、世間と繋がりを持てるようになりました。外とのコネクションが出来ると、逆に苑にがんじがらめになっていた過去の生活は何だったのだろう!?とお伽噺話の世界のように感じます。この時期には色々な情報を得て、冷静に真如苑を判断出来るようになっていました。
そして、離苑して1年半が経つ今、年齢的にも厳しく、仕事も派遣社員で働き出す迄、2年半のブランクがありましたが、今春から正社員としての就職口を見つける事が出来ました。
苑で言われる、因縁や救いの霊線から外れる等、全て虚構、茶番です。
苑でのダメージから回復し、世間で活躍していくためには、現実を受け入れ、冷静に自己分析も含めて、世界状況を知り、対応力を身に付けていくしかありません。
過去の自分を振り返ると、楽して、幸せになりたいという甘い考えが、真如苑のような宗教団体の甘言に引っ掛かってしまったんだと思っています。
長い年数を歩んできた方でも、真如苑がなくても、頑張って生きていこうと覚悟を決め、努力をしていれば道は開けていくと思います。その仮定で辛い時やしんどい時にこのブログのような受け皿で相談や情報交換をしていく事は、とても救いになるし、良いことだと思います。
私事になって申し訳ありませんが、現在苦しんでいる方の励みになればと思い、投稿させて頂きました。

はるママ | URL | 2014-03-06(Thu)11:42 [編集]


離苑は毅然とした態度が必要です。
信者は何十年も狙うこともあります。信者が集会で習ったさまざまな勧誘手法の中で強引な手法を取れば軋轢が生じて信者が「修行が足りない。」と教えに邁進することもあり得ますし、こちらが我慢すれば信者は喜んで修行しておかしなことを言い続けます。
信者は教団という組織の中でノウハウを磨きますが、新興宗教という得体の知れないものを投げかけられた被勧誘者は不安を抱くだけであり、それも教団の狙いなのです。
言葉や手法を変えて人を利用しようとする新興宗教に個人が対抗する知識のデータベースとしても自らの経験した手口を自分の言葉で解釈してこの様な掲示板に掲載することは自らの情報の整理にもなりますし、新興宗教に苦しむ人のヒントにもつながると思います。例え新興宗教の使者が荒らしに来たとしても。

一闡提 | URL | 2014-03-06(Thu)12:44 [編集]


すみません。

どこのSNSですか?確認してみたいです。

1 | URL | 2014-03-07(Fri)09:55 [編集]


はるママさん
おめでとうございます。
でもこれがスタートです。
「流した汗は嘘をつかない。」
これは私の好きなスポーツ選手の言葉です。
相応にやっていれば、悪くはなかなかなりません。
がんばってくださいね!

さて、私もはるママさんにならって書いてみます。

苑の中にいる限り、修行をやった気にもなれるのである程度の満足感を得れるはずです。
失敗しても「修行が足りない。」とか接心で言い訳の根拠も提示してくれます。
家やまわりに勧誘して煙たがられても苑に行けば同じ同好の士がいます。
反面、現実は不条理で思った通りにならないことも多々あります。
納得できないことや、我慢しなくてはならないこと、いくら頑張っても無理なものは無理なこともあります。
でもそれは、まわりの人、、、信仰していない人は大抵そうなのです。
逆に言えば信仰しなくても生きていけているのです。

私自身は苑を信じていません。
無断で勝手に入信させれており、勝手に辞めたところ信徒親に連絡が行きました。
信徒親は「とんでもないことになる。」辞めたことで私に不幸がふりかかると言いました。
そりゃ親ですから心配なんでしょう。
挙句、信徒親の関係信徒も私に同じように言いました。
その後、口論になり挙句私は関係信徒に殴られたのですが、これをもって”不幸”だとするのなら、私はなんてマッチポンプだと思います。

実経験で行けば、私は辞めた後は年収が上がりました。
子供もいます。
しかしそれは私は転職するために努力しましたし、今でも資格を取ったり必要に迫られて家族が寝た後に資格や語学の勉強をしています。
私は相応の現実的な努力をしています。
苑に通い勧誘を仮にしていたら、私は今の地位を持てたでしょうか?
持てるわけがありません。
とはいえ、順風満帆かといえばそんなことはありません。
しかし、まわりもそんなもんです。
まわりをみてください、成功している人がすべからく苑を信仰していますか?

接心なんてあてになりません。
お互いが結果を含めて信じている、と言う前提のもとでしか成立しないものです。
私の親は足元の和合を信じ、「家族が不幸になる。」という言葉を信じ必死に家族を勧誘、説得しました。
接心でも「お前の精進が足りないから家族が信仰できない、もっと大変な目にあう。」と言われてそうです。
泣きながら素晴らしを語り勧誘しました。
家族の仲を改善するのなら、(それを足元の和合というのなら)「自分の考えを押し付けず、苑と少し距離を取り家族の仲を再構築したらどうか?」が答えではなかったか?と私は思います。
接心は現実をみていません。
相手に助言を与えるのなら、その言動に責任を持たねばなりません。
いままで接心を与えた信徒はその言動に責任を取ったのでしょうか?
どうせ責任なんて取るはずがありません。
いや、取れるはずなどないのです。
そんなものに無責任な言動に自分の人生を左右されるのはバカバカしい限りです。
そもそも、今までつぎ込んだ時間と費用はそれなりの見返りがあったのでしょうか?
現世利益?
はっ、生きているうちに花も実も味合わずになんの人生ですか?
生きる欲望が人間を成長させるんです。
綺麗ごとは止めましょうよ。
現実的に幸せになりたいでしょう?
物欲満たしたいでしょう?
それでいいじゃないですか?

緋色 | URL | 2014-03-07(Fri)15:56 [編集]