反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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教えに駆り立てられる信者の攻撃性

この教えは信者に教えを否定するものに対して敵意を抱くように洗脳します。教えを信じられない一般人を「可哀想」と思いながらも、教えの解る選ばれた人を勧誘することで、自らと共に選ばれた人となること喜びます。
やがて教えの世界観は教団施設などの狭い世界で「救われている。」と思っているのに、
「皆がこの教えに結ばれて幸せになれば良い。」という妄想と現実が曖昧となることで世界が救われているような気にさせられるのです。
一方で実際にはほとんどの人が教えに救われていない事が、信者を教団施設のイベントに立ち合えるだけで忘れさせ、教えを信じない人の原因を救われない霊による因縁と、敵意を持って投影します。
教えを信じないと救われない信者が、教えを信じない外の世界と戦うように洗脳を伴い行動する事が、周囲に取っては異常ですが、教えを信じないものに対する敵意を抱く信者の施された洗脳の特質を、先ずは知らなければなりません。否定してはいけないのです。〈一闡提〉

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コメント


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本当に尊い教えなら

相手のことを受入れるはずです。
相手を気遣うはずです。

「相手のため」
「してさしあげる」

アンチや、信徒によって被害を受けた方に対して何かをしてあげる。
ということは信徒はしません。
「その信徒が悪い。」
「根拠の無い誹謗中傷。」
と断定するのなら、自分たちの言う「相手のため」は単なるポーズと言うことです。
キリストもブッダも自らを否定するものを受け入れたんですが、そんなことはどうやらできないようです。

緋色 | URL | 2014-08-22(Fri)09:46 [編集]


相手を欺いても「いずれは分かるはず。」と罪悪も感じず、「相手を救っているのだから、自分が救われる。」という変な正義感のロジックとなっています。
教えに追い詰められると自分助かりたい願望が先に立っても、もはや人を陥れようが、教えの活動は聖行となってしまうほど洗脳が進んでしまいます。

一闡提 | URL | 2014-08-22(Fri)12:40 [編集]


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2014-08-22 (Fri) 10:00


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