反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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信者が下位の信者や外部の人にに行ったことに感知しない教団

新興宗教に代表される組織でカルト性を帯びると、組織は上層部の信者に指導し、組織の方針に従って一般信者が指導されます。そうした間接的な組織と信者との関わりが、「末端信者の行ったことは教団とは関係ない。」という逃げ道となります。
そこでの指導の内容は秘密なのですが、教団は適切な指導をして個人の行動に委ねている面だけを強調します。しかし、無断で入信を受け付けたり、霊、因縁の恐怖心から逃れるために強引な勧誘や信じない人に攻撃的になることに関しては水面下に追いやられてしまうのです。
そうした指摘されることのないやり取りが放置されて来たのは教団の意図でしょうが、信者が教えを信仰していること自体、隠されていたり、周囲が信仰していることを「個人の自由」であると放置されてきたりしていたことにも問題があります。信教の自由の名の下、人の信教の自由を侵すような活動が表面化しないように続けられることで教団運営が成り立っているからです。
法的に規制できないのであれば、個人が対処法を考えて知って、被害に合わないようにしなければなりません。信者が人の不幸について情報収集し、心が弱っているか確認しながら有難い教えに繋ぐ救世主の様に振る舞う行為の裏に、道義的な問題にしても、どの様な騙しや攻撃的な行動があるのか、その周りの人が自らを守る手段として知っておく必要があるのです。

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コメント


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「末端信者の行ったことは教団とは関係ない。」
という教団の一貫した方針には何か背景があるのかと考えます。

想像するのは
1、教団としてマスコミ、施設周辺自治体、管轄当局、警察から
  目を付けられたくない。
2、教団として非信者=将来の信者予備軍から嫌われたくない。
3、信者が多すぎて一信者のトラブルまでかまっていられない。

教団の経営戦略と関係しているような気がしています。

レッド | URL | 2014-08-30(Sat)08:17 [編集]


教団の教義が信者の集まりを通して信者に浸透していく際に、教団から直接的ではなく、信者を通して無理な勧誘行為等が行われることがあります。そのことについて教団が直接関わらないが故に「教団とは無関係」という手口がよく使われると、カルト関係書籍で見たことがあります。
それこそ、宗教的なので「確信犯」です。

一闡提 | URL | 2014-09-01(Mon)09:14 [編集]


過去、トラブルを起こした新興宗教団体はかなり教団側の誘導が強くでています。
積極的に教祖が動き、強く脅すという形です。
そのために刑事事件になりニュースにもなりました。
このニュース自体は「新興宗教はヤバい。」という認識を周知させる一方、教団側は「やるなら信徒がやったようにする。」という団体が保身できるやり方を選ぶようになったと思います。
前例に学んだのだと思います。

緋色 | URL | 2014-09-02(Tue)09:15 [編集]


この教えは、トラブルスレスレでも、勧誘に成功すれば良しとされます。無断入信や近親者、職場の縛りは徹底的に利用されます。
霊、因縁の恐怖で信者を追い込むのですが、トラブルとなって教えを否定されても「更なる精進」に持って行かれます。
それを「双親様(教祖夫婦)が通った道」と表現されることもあります。

一闡提 | URL | 2014-09-03(Wed)07:02 [編集]


>教団の経営戦略と関係しているような気がしています。
などと書きましたが、
そんな高尚なものでなく、カルトがよくやる手というだけか。
無茶をやったら信者のせい、うまくいったら教団のお蔭・・・
信者が無茶をやる(無理な勧誘行為等)のが、
その経親とか、霊能者からの指示によるものだとしたら
酷い話ですね。

レッド | URL | 2014-09-04(Thu)23:24 [編集]


真如苑では、勧誘しに行くと否定されるのは当たり前で、何度か行くうちに徳が上がるので、いずれ話しを聞いてくれるようになる。それが向上だそうです。
一度集会などに連れて行かれると、徹底した教え絶対の情報操作と印象操作の場となります。
徳というポイントが因縁から護られるための必要なものであり、積むには勧誘が一番で、自分の教えを疑う意の罪で取り崩されたり、人生の転機で取り崩されたり。徳の枯渇を示して無理な勧誘を間接的にさせることによって起こるトラブルも、信者の修行の対象であり、教団の感知しない一部の心無い信者の仕業なのです。

一闡提 | URL | 2014-09-05(Fri)06:58 [編集]


本当に素晴らしいのなら、初見で「怪しい。」とは思わないでしょう。
自分のところは違うと言っても、よくある団体と名詞が違うだけで何も違いません。
本当に差異があるところは、上の信徒や団体から刷り込まれた情報だけです。
押し売りが何度も訪問したところで売れるかと言えばそんなこともありません。
結局、マルチ商法の子を減らすわけにもいかないので、「向上」と都合よく解釈し信徒を騙しているのです。

緋色 | URL | 2014-09-09(Tue)09:13 [編集]


教えが素晴らしいと暗示をかけられながら、自己暗示もかけ、そのために人にも素晴らしさを押しつけなければならない状況に、霊、因縁の恐怖心が根底となっています。
自分の怖がるお化けと同じ様なものを、人にも怖がらせようとする行為に近いです。

一闡提 | URL | 2014-09-09(Tue)17:13 [編集]


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