反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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「自分が信じている」というだけの基準で教えを押しつける人

真如苑では現世の不幸を「救われない霊の仕業」と示します。そして、教えをどこまでも信じることで取り組み、人を救っていくことで救われると説かれます。
さて、信者本人は家族や身内に「教えを歩んでほしい」と思いますが、「いずれ分かる」と教えの俯瞰的な構図を見ることなく、半ば強引に様々な縛りを使い、教団施設に行かせようとする人も現れます。教団は「そのような指導はしていないが、心ない一部の信者が行った事」と言うでしょう。
そこに見えるのは、「教団の為に行うことは肯定されるが故に、教団の為にならないことは信者をして間接的に蔑ろにされている」ということです。
半ば強引に教えを信じさせられようとする事は、真如苑の信教の自由の下、個人の信教の自由の侵害です。
その行為を促すのが信者の不幸を悪い霊や因縁に投影させる心理的手法です。教えを信じないことは悪い背後霊がその人に憑いており、その人自身に信者の不幸に対する攻撃性を向けてしまうからです。教団でも制御しきれない未完成なマインドコントロールによって、教義として下位信者に伝わっていく勧誘への強迫観念は、教団の責任から離れながらも、人の信教の自由を侵してでも教えに対して貢献させようとする力になっているのです。
この様な教えが考え出されてしまったので、被害が継続するのは確実です。だから教え対策を継続的に行わなければならなくなっているのです。〈一闡提〉

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