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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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私は真如苑の教えをやっているという主張

それは、脱会者に対して向けられることもあります。
教えをやっている自分を正当化したいのでしょう。
それは、本人の自由ではあるのですが、そのことに対して相手がどのような印象を持ったり、考えたりするかは、その人の自由です。
自分が教えをやっていることを相手が肯定せず、相手も信じようとしないことが気に入らず、何らかの嫌がらせをしようとすることで、真如苑被害が生まれます。
人もやっていないと気に入らない教え。それは、教えの押しつけ以外のなにものでもないのですが、信者の教え内での権威を保つ目的や、信者が救われた気分になる目的など、様々な目的を実現するために働きかけられるのです。
そのような信者の周囲の人の不安や迷惑、被害がネットで報告され続けています。
もしも、信者の人で、脱会者や教えを信じようとしない人に対して、執拗な嫌がらせをしているという自覚があるならば、注意しましょう。
一闡提と名乗ってブログをアップしている人に対して行われているかも知れませんので。〈一闡提〉

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コメント


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共感します

一闡提さんの書き込みに共感します。
おそらく嫌がらせをしている方の信徒さんは良い事をしていると思っているので、こちらのお願いは聞き入れられないと思いますが、頑張ってください。

私自身もいろいろと干渉を受けましたが15年間、期せずして仕事が忙しくて無視し続けた結果、親以外からの干渉は無くなりました。(親は歓喜相承で教師です。)いま私が目指しているのは、教えをやっている人より正しく、楽しく生きる事です。教えをやっている頃からの漠然としたテーマで、「世の中には教えが無いのに立派で、たくましく生きている人が沢山いる。彼らと私の差はなんだろう?」というのがありまして、何か辛い事があったときでも宗教以外の手段で、人はこの辛さをどのように乗り越えているのだろう?ということを探求しつづけたところ、いつの間にか教えは常に必要なものではなくなってしまっていました。依存する気持ちが晴れたと言った方がいいですね。

この状態を教えからの卒業と言えるかというと、私の場合はそんなにはっきりと区切れていなくて、今も教えは正しいと思っていますし、人の魂は真如み教えのようなシステムでないと救えないのでは?という気がしています。僕が青年部で教えてもらった事はいずれも未だに素晴らしいと思えることが多いです。今の自分を支えているのは、あの15年前に教えてもらった諸々の教訓だという自覚もあるのですが、どうも戻れないんですよね。戻る必要性も感じていませんし、自分みたいな者が戻ると信徒の方を迷わすだけだし、迷わせたいという願望を抑えきれないと思いますし。

一闡提さんが迷惑を被っているような、人を思い通りにコントロールしようという柔らかくも高圧的なあの雰囲気。あれはご指摘のように人間のエゴ、我、その人の因縁から発せられるものです。本当に真如教徒であるならば戒めるべき行為だと私は思います。反発を招き、その迷惑を受ける人の心を閉ざさせてしまうからです。それを事務局側も「教徒間の問題」としてしか処理できなくなっている事に、システムとしての限界を感じます。教えに素直でないと事務局には入れてもらえないでしょ?で、そんな素直な人たちでは解決しきれない問題がいくらでも世の中には存在してしまっているんですから。でも、だからこそ人が人を導くシステムにしていた訳です。導き子の機根を見て、相手の立場や気持ちになって教えを説いていく事を双親様は教えてくださっているんだと思っています。その相手の立場を考える事が自分の器を大きくしてくれて、より人から頼ってもらえるようになって、人を助けていける自分に高めてもらえることにつながるのです。そして頼られて初めて人は社会に自分の居場所を見つけることができるのです。これは教えは関係なく、社会の真理です。

博徒は博徒がお助けしたらいいし、金銭問題でズブズブの人は金銭問題から立ち直った人が助けてあげるべきなんです。病気を精神的に乗り越えた人は同じ悩みに苦しむ人に手を差し伸べればいいわけです。そして、そんなの教えが無くてもやっている人はやってる。そういう人は輝いて見えるというのが私が今こうして少し離れたところから教えを見ている理由だったりします。

ここまで読んでいただいてお分かりになると思いますが、私も一闡提です。闡提すら、こうして救ってくれる教えなのです。(あ、勝手に成仏しちゃってます?)だから私は真如苑の教えは本当に素晴らしい教えだと思います。でも、全ての人に時間とお金をかけて同じように素晴らしいと思ってもらう必要性は感じませんので、死ぬまでこの場所から見ていると思います。一闡提さんも頑張ってください。応援してます。(こんな文書、教徒だと書けないもんな。うん、俺まちがってないな。)

にっち | URL | 2015-05-31(Sun)07:49 [編集]


にっちさん、コメントありがとうございます。
私も真如苑の教えが良い教えだと思って信者をやっていた時期もありました。
他の人の気持ちになって悩みを聞き、他が為に尽くせる自分になって行く。
世の円満なる指導者になっていくことは社会にプラスとなるでしょう。
ここまでは表面的な話です。
教えに触れた人の感じ方は10人いれば一人ひとり違いますし、教えに触れていない人でも困難なことを解決する方法や動機づけは様々でしょう。
「水ぶくれ真如苑〜急成長の秘密と欺瞞の構図〜」には、最初は救いの為に行われていたと述べられていますが、登録上90万人もいれば、向上するのに本当に人々の役に立っている人や迷惑になっている人もいるのでしょう。
残念ながら私の周囲の信者はズルイ系の人が多く、人を上下の関係で見下そうとし、教えを信じない者は敵とみなしてしまうようです。
10人の人の感覚がそれぞれ違うのですが、ネットで見る苦情はあまりに似かよっており、私が信者からの働きかけに対処するのに参考になります。
騙されたと思っている私が二度と騙されないために、教団内に増えてしまったと思われる(一部の?)心ない信者に勧誘されそうな人が適切に対策できるように、これからも書き続けたいと思います。

一闡提 | URL | 2015-06-01(Mon)14:01 [編集]


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