反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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教えがもたらしたものへの意味づけ

この教えに出会った時に、N君は心が弱っており、この教えがN君に入り込んできた時に、N君は救われたと思ってしまった。
しかし、N君の無理のある思考もいけなかった。過度に人目を気にして、顔色を伺う性格。自分で物事を抱える性格は、この教えのターゲットとなりやすいだろう。
この教えに騙されたと気づいてから、N君は自分や周囲への見方を改め、まじめに話していても、思考が歪められて、嘘や現実離れした話を嘘でないかのように思って話す信者のような人がいることを知った。
ネットを見れば、そうした信者が自動的に育つと見越してか、ネット上の教え批判を書き込むのをバカらしくさせるかのように、激しく人を貶める言葉で論議を妨害し、教えに対する騙しとしての意味づけをさせない意図を感じた。
N君の教えを歩んだ過去への意味づけは、教えに対する肯定的な解釈ではない。
どうとでも取れる言葉を教えにとって都合の良いように解釈をさせ、集団圧力も使いながら教えの不思議話を信じさせていこうとする手法。その裏にネズミ講の様な勧誘と、金銭ではなく徳というポイントを信者に求めさせる事によってネズミ算式に信者を無断登録でも増やし、会費を集めようとする手法。
そして、教えにとってマイナスな思考をすると、救われなくなるかのように恐怖心が植え付けられる手法。
N君の過去への意味づけは、そうした騙しに屈してはいけないことを意識させていく。
N君の周囲の信者だけではないのだろうが、信者は一度騙された人はまたしばらくすると教えを求めると信じている。それが10年や20年も信者がターゲットを狙い続ける原因であろう。
N君のものの見方を変えようとしてきたことは、新興宗教に対して、一瞬たりとも油断してはいけないという解釈に至っている。特に信者の一般人としての人格と、信者としての人格の内、後者に対しては信者の抱える恐怖心は死活問題とも思わされる教えへの信心であるので、甘く対応してはいけないことと、下手に否定するなどして刺激してはいけないのである。
そうした経験はN君の体験した教えに対する疑問がネットの質疑で肯定的に解釈されるようになり、N君を縛っていた恐怖心が後から取って付けたようなコールドリーディングの様な手法によって植え付けられたものであると意味づける。
それら意味づけを、これから被害者になり得る質問者や閲覧者に向けて、情報発信する事が、N君の教えに騙された過去への意味づけを鮮明な対処法にしていくのであろう。《一闡提》

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