反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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思考停止の修行

この教えの修行では、戒律のような教えを疑ってはいけないという、教義とはいえない暗黙の了解があります。
疑われることを想定されているからでしょうか。
N君は、教団施設の中で、教え関係者や教えを褒めていれば救われるかのような感覚があったと覚えています。
逆に、教えを疑ったりけなしたりすることは、お力が流れずに、因縁からどう倒されるか分からないので、無条件に教えを信じることを自然と心がけていました。
「人智を尽くして天命を待つ」かのように、日々の出来事を教えにとって良い方向に解釈する心ぐせと、頭で考えてはいけないという楽天的な思考にもなっていきました。
今思うと、思考停止の修行です。
上手くいっていない人を見ると、「教えに結ばれていないから。」という見せかけの因果関係で見たり、その人の勧誘の可能性のためにその人から気に入られるように心がけたりするのは、一見、教えによる良い影響と取れるかも知れません。
しかし、実情は全く変わらず、日々起こる事象に教えを都合よく当てはめているだけです。
上から目線で人を観察しては、思考停止しているが故に、うまくいかないことがあると、「修行が足りないから。」という思考に至ることもありました。
国民の千人に7、8人の割合の公称信者数で、無断入信で、そのほとんどが架空信者であることが明らかな教えの狭いコミュニティの論理に流されて、より大きな社会におけるコミュニティの論理を避けていた、信者時代に思考停止の修行を続けていたN君でした。《一闡提》

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