反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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人の感情を煽る言葉

Yahoo!知恵袋の質疑を見て、信者の言葉に引っかかりを感じます。違和感と言っても良いでしょう。
そしてそれに向けて疑問が投げかけられます。
信者にとって、先ずは正しい教えがあって、それを学ぶ人の一部が被害を与えているという認識が見られます。
教えは悪くない。ほとんどの信者は悪くない。でも、教えを批判するのは人権侵害である。
これでは、信じたくないのに信じさせられようとされている人の感情を煽り、炎上してしまうのは必然でしょう。
それでも、被害を被った人たちが泣き寝入りしては、秘密裏に信者が活動し、信教の自由を侵害することが加害であることを盲点とされている信者が、人を救うと称して同様の事を繰り返します。
そこを盲点としないように、被害を減らしていくのです。《一闡提》

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コメント


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信じない人間を侵害していることは人権侵害ではないのか?
と、私は感じます。
殆どの信者は悪くなかったとしても、一部でもまともでない信徒がいるからこそ否定されているのですが、彼らはそこを理解していません。
苑の構造を指摘しても、指摘した人間の個人批判と一部の信徒の責任にする限り、どう言い繕っても信徒の発言は、「苑はまとも、教えを理解しない信徒が悪い。」と言っていることに他なりません。

緋色 | URL | 2016-01-13(Wed)15:31 [編集]


信者の、どこまでも教えに救われることに貪欲で、自己中心的な思考に油断してはいけないと思います。
信じるのはこちらの勝手、違和感を感じるならばやらなければいい。教えが否定されるのは一部の心ない信者の仕業。教えは正しい。だから否定するのはおかしい。信教の自由の侵害である。
様々な信者の書き込みが見られるようになり、自己中心性の共通点が見えてきています。
「私が信じる教えだから正しい。」平気でそう思う信者がいると思います。
それら信者の盲点に感情を揺さぶられることなく、対策していかなければならないと思います。

一闡提 | URL | 2016-01-13(Wed)16:31 [編集]


彼等の主張は自己中心的であり、”相手に寄り添う。”という利他の教えを学んでいるとは思えません。
否定的に書くと、「信徒の気持ちを考えたことはあるのか?」、「否定的な言葉は受け手の判断を誤らせるから中立的な発言をすべきだ。」と書く信徒がいます。
これはひどく身勝手な発言です。
被害を受けた人間のことを考えたことが本当にあるのか?
あるのなら、その信徒が悪い、苑はまとも、そのようなことを書けるものでしょうか?
経験のうえに書く否定の言葉は、信徒の経験のうえで苑を肯定する言葉と何が違うのでしょうか?
私は「中にはまともな信徒さんも、苑によって救われた人もいると思います。とはいえ、実際被害を受ける人間や暴走する信徒がいる以上、私は人には奨められません。」と単に否定しているわけではありません。
一部の信徒がまとも、という発言は不祥事を起こした社員が不祥事を起こしたのは別な部署で自分の部署は違うから信用しろ、否定するな。と言っているのと何も変わりません。
考えれば考えるほど、信徒の思考は身勝手だと感じます。

緋色 | URL | 2016-01-14(Thu)09:09 [編集]


問題を素直に公表して改善し、信用を回復する企業、問題をひた隠しにして世間に知れる頃には信用が失墜している企業。
この教え集団は後者だと思います。
構成員の思考で気をつけなければならない事が浮き彫りとなってきています。
「最初は自己啓発セミナーとも、宗教とも分からないものとして近寄ってくる。」
「良いところを強調して、負担を示す頃には人間関係の縛りなどで離れられなくなる。」
「社会的縛りを利用して強制しようとする。」
これらは公然となる可能性が少ないので平然と行われます。
しかし、そうしたずるい手法がネットで公表されています。
「ネットで書かれている悪いことは嘘。」
「教え批判者は一部の信者がやっていることで教えを批判して、教えを信じる人の権利を侵害している。」
こうした自己中心的、教え中心の思考がばれなければ平然と培われ、それに伴った活動が秘密裡に続けられてしまいます。
信者個人の全てを否定されるのではなく、教えの都合の良い思考に伴う行動を容認してしまうと、迷惑行為に繋がることについて対策しなければならないと思います。

一闡提 | URL | 2016-01-14(Thu)10:30 [編集]


批判者の意見はほぼ傾向が決まっています。

・過剰に信仰するタイプの行動に関して
・無断で入信される手続の構造上の問題
・過剰に信仰するようになる構造
・黙認する教団

それぞれ、実例付き、、、根拠付きで示しています。
それに対して、
単なる噂、悪口、批判されるまともな信徒の気持ちは考えたことがあるのか?、苑はまとも悪いのはその信徒という感情での批判では不信感を持たれるだけです。
教団自体、実務的な改善や具体的な対策を実行(提示ではなく、実行です。)できない以上、ネット見るな、批判者は気の毒な相手という論調になるのかもしれません。

緋色 | URL | 2016-01-15(Fri)09:31 [編集]


最近はネットで手口を明かされてしまいます。
しかし、教団のスタンスとしては信者個人の活動として、カネ、ヒマ、社会的信用を洗脳されることによって消費するのは信者個人です。
その事実を認識できる人が増えることで対策が進みます。

一闡提 | URL | 2016-01-15(Fri)09:50 [編集]


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