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反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

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信者が教えを通して必要とするもの

N君は教えの示す霊、因縁による恐怖と、救いによるマッチポンプにも注目していたが、信者による安直なコミュニケーションによる信者にとっての利点に注目してみた。
安直なコミュニケーションとは、暴力的な、どこまでもコストの低い、相手を操作するのに都合の良いコミュニケーションである。
そのためには教えのコミュニティに引き込んで、教えを信じさせれば、教えの上下関係を守らなければお力が流れてこないことになる。
信者は、世間のコミュニティの中で、極度の劣等感を持っているとすれば、教えのコミュニティの中ではただ信じるという安直な思考と、そこで積まれた徳という都合の良いポイントの蓄積の結果とされる霊位が上がることで、霊位の低い者を支配できるかのような旨みを与えられている。
もちろん、反発されることで信者自らの取り組みとして、取り組み料に繋がることは、予め仕組まれているが、うまく操作できていたと思っていた人が、脱会し、批判者にまでなってしまうと、安直なコミュニケーションはもはや通用しない。
N君もかつては教えの集合的無知にされていたが、信者のあまりに安直なコミュニケーションに嫌気が差したのが、脱会に繋がるきっかけだったと思う。
高い研修であったが、人を操作したり、勇気挫きをしてしまう様な思考に気づけたのは、不運の中に幸運を見つけるセレンディピティだったと思えるN君だった。《一闡提》

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コメント


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それはモラハラだと思います。
思考方向の誘導、一方通行化は洗脳とも言います。

緋色 | URL | 2016-03-24(Thu)10:41 [編集]


教えでは膝突き合わせての対話が言われますが、実際は教えを否定しない言論統制の空気の集会や、教団施設では洗脳の要素満載です。
思考を停止させられた信者に教えについて時間をかけてその良さを対話で理解させることは不可能ですし、それが教義の実態です。
信者の短絡的なコミュニケーションに違和感を感じたらすぐにネット検索です。

一闡提 | URL | 2016-03-24(Thu)12:28 [編集]


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