反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

信用が地に堕ちているのに

信者は教えを辞めた人のことを地に落としますが、教えに「騙し」と意味づけた人は、信者の使う教えのネズミ講型の手法を取ることへの信用が地に堕ちます。
それでも教えの地位が、人からの信用以上のものを得られるかのように接近する信者を見ると、その盲目性と教えへの依存性が伺えます。《 一闡提》

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

信徒は批判に対して、批判する人間を落としにくる手法を使います。
しかし、利他の教えであるのなら、その間違いを否定し許し、助けることが本道なのではないでしょうか?
それができずに、一方的に批判することは自分の首を絞めるようなものだと思います。
それが判らないことが盲信の怖さだと思います。

 緋色 | URL | 2016-06-06(Mon)17:34 [編集]


信者は教えに結ばれているだけで、未信徒や辞めた人よりも上にいるという信念に固執します。
しかし、それは一度批判されると、もろくも崩れ落ちます。だから、批判されることさえも予め避けて、批判が無いかのような状況を捏造しようとします。
それが、批判は批判者の努力不足や誤解によるものであるとしようとする手法にも繋がるのでしょう。

一闡提 | URL | 2016-06-06(Mon)18:56 [編集]


辞めた人間を”堕ちた人”と表現します。
この定義だけで利他の教えとは一体なんだと思います。
”堕ちた人”とカテゴリすることで信徒は上位に立ちと錯覚し、堕ちた人には自分はなりたくない、と思うわけです。
自分がしていることをされるわけですから。

本当に苑の構造は巧妙だと思います。

 緋色 | URL | 2016-06-07(Tue)09:12 [編集]


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。