反苑・往復書簡的寄稿ブログ

一闡提と谷居の二人による、「反苑の会」から派生した寄稿ブログです。(注:このブログは真如苑活動に対する過去の経験と、今後の自己防衛手段を考慮するためのものです。従って真如苑の活動を毀損・妨害する目的ではなく、また真如苑やその信者を追い込むこと、誹謗中傷することを目的とするものでもありません)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

本当にお互いの為か

本人が教えに救われて、更に他の人を導くとその人も救われるので、お互い良くなっていく。
それが教えの建前です。

N君は思う。
「なぜ救われるのか。それは、救われない先祖が本人を頼ってきて、その先祖が供養されると幸福への障害が取り去られるから救われるのか。」
「子孫に頼る先祖とは何か。」
「本当にこの教えの力に頼っているのか。」
そんな疑問は目が覚めるとその狭いコミュニティの中で信じさせられ、妄想を抱かされていたことにN君は気づく。
そのコミュニティだけで通じる言葉で話し、世の中の事象に意味付けをし、後から取って付けられた言葉で幸、不幸どちらに転んでも教えのお力のお陰であると思い込まされていたとN君は思う。

その小さなコミュニティの中の、コップの嵐に一喜一憂し、競わされながら、世間との軋轢も新興宗教による風評被害を避けるために何事もなかったかのように振る舞いながら行動していたN君は、教えに生かされていたと言えば聞こえが良いが、操られていたのである。

不幸を抱えた人に関わる職業にもこの教えに操られて教えの勧誘目的のために読みとられた情報が、教えの因縁ストーリーに絡められて囲い込むために利用されている。
一見お互いの為のようであるが、違った方向からの力に操られているのである。
それに気づくヒントがネット上に流れている。しかし、本来の言葉と違う意味が付与された教えの言葉の真の目的を理解して適切に対処するには、本人の判断力が必要である。〈一闡提〉

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。